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四十七人の刺客

日本の小説、映画作品 ウィキペディアから

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四十七人の刺客』(しじゅうしちにんのしかく)は、池宮彰一郎長編時代小説。「新潮書下ろし時代小説」として1992年9月に新潮社から書き下ろしで刊行。1995年8月に新潮文庫より、2004年4月に角川文庫より文庫化された。第6回(1993年山本周五郎賞候補、第12回(1993年度)新田次郎文学賞受賞作。

赤穂浪士討ち入りに至るまでを、主君への忠義といった要素を排して、大石ら赤穂浪士と吉良家・上杉家との謀略戦として描く。

1994年東宝製作により同名で映画化された(後述)。

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特記事項

  • 細川綱利が赤穂義士を英雄として厚遇したと書かれる『堀内伝右衛門覚書』を、事件から70年以上もたった後に書かれた「偽書」であり[注 1]、書かれている内容は史実ではないとしている。

書誌情報

  • 四十七人の刺客(単行本、新潮社、1992年9月) ISBN 4103872012
  • 四十七人の刺客(新潮文庫、1995年8月) ISBN 4101408114
  • 四十七人の刺客 〈上〉(角川文庫、2004年4月24日) ISBN 4043687036
  • 四十七人の刺客 〈下〉(角川文庫、2004年4月24日) ISBN 4043687044

映画

要約
視点
概要 四十七人の刺客, 監督 ...

「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けて製作され、市川崑監督、高倉健主演により1994年10月22日に公開された。ベネチア国際映画祭「ベネチアの夜」部門特別招待作品。

概要

己の権勢を誇示するために浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取り潰した幕府を仇討ちによって、その面目を叩き潰そうと目論む大石内蔵助吉良上野介をそれから守ることによって幕府の権勢を維持しようとする米沢藩江戸家老・色部又四郎。この2人の謀略戦と大石と一文字屋の娘・かるとの恋を中心にした『忠臣蔵』(赤穂事件)を描いている。

本作では、『忠臣蔵』で定番とされてきた江戸城松の廊下での刃傷事件の描写は省略されている[注 2]。また、浅野が吉良を斬り付けた理由は最後まで謎とされた[注 3]

脚本には映画脚本家でもあった原作者の池宮も参加している(池上金男名義)。

主演の高倉健にとっては、1968年の『祇園祭』(松竹)以来、かつ生涯最後の時代劇作品である。

製作

帰って来た木枯し紋次郎』に製作協力したC.A.Lの社長だった松前洋一が市川崑に原作を持ち込み、東宝の自社製作という形で映画化が実現した。市川は長年に亙って『仮名手本忠臣蔵』の映画化を望んで企画を出し続けていたが、大映松竹での映画化がことごとく流れており、念願叶っての映画化となった。上映時間が2時間弱を想定されることから、話の展開はテンポ良くスピーディーな構成となり、ファーストカットの赤穂浪士が要塞化された吉良邸の図面を眺める場面と、ラストカットの大石内蔵助の愛人が身重の体で習字をする場面は、大作だからこそ小さく終わるという市川の構想の下、製作の初期段階で決定された[2]。本作は、市川作品に常連だった美術担当の村木忍が病気で不参加となり、替わって村木の夫である村木与四郎が担当したが、長年にわたって黒澤明の下で美術を担当した村木の美術はリアルで本格的に作り込むスタイルであり、砧の東宝撮影所の空き地に再現された吉良邸のオープンセットも、塀を外して撮影場所を設けることが不可能なほど造り込まれるなど、市川の撮影スタイルと噛み合わない事態が発生した。また、東宝側が集客用に高倉健を主役起用したことで、高倉の殺陣に関しては高倉と親しい宇仁貫三が殺陣師に起用されたため、長年殺陣師の美山晋八とコンビを組んで来た市川は、高倉の撮影場面での殺陣スタイルの変更に伴う画面設計を一から再構築する破目となった[3]

スタッフ

出演者

出典:東宝WEB SITE・資料室(四十七人の刺客)[4]

受賞

地上波放送履歴

全て日本テレビ系「金曜ロードショー」での放送。

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脚注

外部リンク

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