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増田卓 (野球)
日本の野球選手 (1921-1986) ウィキペディアから
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増田 卓(ますだ たかし、1921年8月16日 - 1986年3月25日)は、徳島県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
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来歴・人物
徳島中学校を卒業し、京都薬学専門学校や社会人野球でプレー後、1950年に大映スターズへ入団。1年目から外野のレギュラーを獲得し、下位打者として93試合に出場した。1952年は控えとして、代打や守備交代などでの途中出場が多かったが、翌年からはレギュラーに戻った。1956年は再び控えの外野手になり、この年限りで引退した。
エピソード
1955年5月24日の毎日×大映戦(後楽園球場)、大映は毎日の荒巻淳投手にノーヒットノーランに押さえられるも、毎日も点が入らず0-0のまま延長戦、そして延長11回1死に増田がヒットを打ってノーヒットは途絶え、その後抑えられてた大映打線が息を吹き返して4-0で勝利した(「延長でノーヒットが途絶えた」で「最終的に4点差」は最多得点差)。それから1ヶ月弱後の同年6月19日の近鉄パールズ×大映戦(大阪球場)、今度は近鉄の武智文雄投手にパーフェクトピッチング、増田は27番目の打者として代打出場したが、二塁手・山本静雄へのセカンドフライに倒れて武智の完全試合を達成させられ、以前の様にはいかなかった。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 7 (1950年 - 1956年)
関連項目
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