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大相撲令和7年3月場所

2025年3月に開催された大相撲の本場所 ウィキペディアから

大相撲令和7年3月場所
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大相撲令和7年3月場所(おおずもうれいわ7ねん3がつばしょ)は、2025年(令和7年)3月9日から3月23日までの15日間、日本大阪府大阪市浪速区エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)で開催された大相撲本場所である。

概要 基本情報, 会場 ...
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番付・星取表

赤文字は優勝力士の成績。

幕内

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十両

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優勝争い

9日目を終え、8勝1敗で大関・大の里、平幕の髙安が先頭。それを7勝2敗で尊富士美ノ海が追う展開であった。

10日目には、大の里と髙安が直接対決。髙安が制し、この時点で単独トップに躍り出た。

11日目、髙安は小結・霧島に挑むも、霧島のいなしにより敗れ、2敗に後退。同日には、尊富士と美ノ海の直接対決も組まれ、こちらは尊富士が勝利、2敗を守った。

12日目、髙安は関脇・王鵬を押し出しで破り、2敗をキープ。大の里と尊富士の2敗同士の対戦は、尊富士が押し込むも、大の里が叩き込みで辛勝。この時点で2敗は大の里、高安、3敗で尊富士、玉鷲安青錦が追う展開となった。

13日目、高安は若元春を突っ張りの猛攻で破り、2敗を守った。一方、3敗勢の平幕3人は全員が敗れた。さらに大の里が王鵬に立ち合い負け、そのまま押し出され、3敗に後退。

14日目、髙安は美ノ海と対戦、髙安はかちあげで突き押すも、美ノ海は頭をつけて、はず押しで応戦。結果的にいなしに泳いだ髙安を美ノ海が寄り切った。これにより、髙安は3敗に後退した。大の里は大栄翔を立ち合いから圧倒し、3敗をキープ。これにより、3敗で大の里と髙安。4敗で美ノ海、安青錦、時疾風が追う形と変わった。

千秋楽、髙安は小結・阿炎の立ち合いの動きに対応、上手を取っての出し投げで勝利。3敗を死守した。結びの一番、大の里は琴櫻を右差しからの一気の寄りで勝利。これにより、12勝3敗で大の里と髙安の優勝決定戦となった。

優勝決定戦。大の里は立ち合い勝ち、左を差して前に出る、髙安は下手投げで逆転に出るも、大の里を沈めるには至らず、そのまま大の里に送り出された

これにより、大の里が3場所ぶり3回目の優勝を決めた。

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備考

  • 1月場所後に豊昇龍が第74代横綱に昇進し、当場所が横綱として初めての本場所となった。新横綱の場所が番付上1人横綱となるのは、1993年3月場所以来で、昭和以降3人目[注 1]となった[1]。その豊昇龍は昭和以降の新横綱としては最多に並ぶ3つの金星を配給し、10日目から途中休場した。新横綱の休場は1986年9月場所双羽黒以来[2]
  • 東前頭15枚目の安青錦は初土俵から所要9場所での新入幕となり、付出入門者を除けば常幸龍尊富士と並ぶ史上最速タイでの昇進となった[3]
  • 1月場所限りで立呼出だった次郎が停年退職し[4]、なおかつ当場所から呼出のトップとなった副立呼出克之が当場所では立呼出に昇進しなかったため、当場所から立呼出不在となった。
  • この場所が新十両の草野は初日から12連勝を記録し、新十両力士からの初日からの連勝記録(従来の記録は9連勝)を更新した[5]。12日目での十両優勝決定は1場所15日制が定着した1949年5月場所以降では史上最速タイ記録で、1977年3月場所琴乃富士以来3人目である[6]。なお翌13日目に嘉陽に敗れたが、最終的には14勝1敗となり、新十両での14勝1敗は第46代横綱・朝潮遠藤に続いて史上3人目の快挙となった[7]
  • この場所の十両以下は本割で既に優勝が決定していたため、優勝決定戦は幕内のみが行われた。
  • 三賞は、技能賞は髙安が受賞。敢闘賞は、新入幕で二桁勝利を挙げた安青錦が無条件受賞、千秋楽を10勝4敗でむかえた美ノ海時疾風が千秋楽勝利を条件で受賞対象となった。結果は、時疾風は霧島に敗れ、受賞を逃す一方、美ノ海は大栄翔を破り、敢闘賞を受賞、自身初の三賞受賞となった。また、沖縄県出身関取として初の三賞受賞者となった。殊勲賞は、美ノ海、安青錦、時疾風が優勝を条件で受賞対象、髙安は12勝をあげたうえでの優勝で受賞対象となったが、優勝力士は大の里となったため、こちらは受賞者はいなかった。

脚注

外部リンク

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