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大相撲令和7年5月場所
2025年5月に開催された大相撲の本場所 ウィキペディアから
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大相撲令和7年5月場所(おおずもうれいわ7ねん5がつばしょ)は、2025年(令和7年)5月11日から5月25日までの15日間、東京都墨田区の国技館(両国国技館)で開催された大相撲の本場所である。
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番付・星取表
※赤文字は優勝力士の成績。
幕内
十両
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優勝争い
中日、伯桜鵬は明生と対戦、土俵際の明生の捨て身の小手投げに敗れ、1敗となった。大の里は平戸海を危なげなく破り、自身2度目、大関になってからは初の中日勝ち越しを果たした。
中日終了時点で、全勝は大の里。1敗で小結・若隆景、平幕・伯桜鵬、安青錦、2敗で横綱・豊昇龍、関脇・大栄翔、平幕で金峰山、狼雅、朝紅龍が追う形となった。
10日目には、1敗力士も不在となり、大の里が無敗で後続と2差をつける展開となった。
11日目、大の里は2敗の小結・若隆景と対戦、若隆景がもろ差しとなり、一気に土俵際まで攻め立てるも、上手を取った大の里が体を入れ替え、寄り倒しで勝利した。2敗の伯桜鵬、安青錦はそれぞれ、豊昇龍、琴櫻を攻め立てるも、あえなく敗れた。これにより、全勝・大の里を追う2敗力士は豊昇龍のみとなった。
12日目、大の里は伯桜鵬を叩き込みで破り、全勝を守る。豊昇龍は関脇・霧島に上手をとられ、そのまま上手投げで敗れた。これにより、2敗力士は不在となった。
13日目、大の里は大関・琴櫻と対戦、琴櫻の喉輪をはねのけ、一気の寄り切りで勝利。幕内優勝を決めた。
大の里は、千秋楽、豊昇龍に挑む。立ち合いから両手突きで押し込むも、上手をとられ捻り倒された。大の里は、全勝ならず14勝1敗となった。
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備考
- 前場所優勝の大関大の里は、この場所が綱取りのかかる場所だった[1]。
- 4月14日に序二段若戸桜(式秀部屋)が外陰部壊死性筋膜炎のため死去した。番付発表前ではあったが、番付編成会議後の死去であったため、この場所の番付には東序二段72枚目に名前が残った[4]。
- 7月場所直前の7月5日限りで9代伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士、1960年7月6日生まれ)が停年(定年)を迎えるため、伊勢ヶ濱部屋の所属力士はこの場所が9代伊勢ヶ濱の弟子として臨む最後の本場所になった[5]。
- この場所5日目の5月15日に、元小結で西幕下3枚目の北勝富士が現役を引退し、年寄「大山」を襲名した[6]。
- 三賞は、殊勲賞は該当者なし。技能賞は、三役で2桁勝利をあげた霧島と若隆景が受賞。敢闘賞は、10勝をあげた佐田の海が無条件受賞。佐田の海は38歳0か月14日での三賞受賞となり、これは歴代4位の年長記録である。安青錦と朝紅龍の2人も千秋楽勝利を条件に敢闘賞対象となった。安青錦は勝利して2場所連続の敢闘賞受賞を決めたが、朝紅龍は敗れて受賞を逃した。
- 休場明けの横綱・豊昇龍は3、4日目に連敗となり、危ぶまれるも、その後は白星を伸ばした。12日目に霧島に敗れたこともあり、大の里の独走を許すも、千秋楽には上手捻りで大の里の全勝優勝を阻み、12勝3敗で場所を終えた。
- 十両は、12日目を終え、草野が2敗でトップ。3敗で若碇、東白龍が追う展開であった。13日目には3敗同士の対決が組まれ、若碇が勝利。14日目には、草野は東白龍を破り、2敗で単独トップ、3敗の若碇が追走した。千秋楽、若碇は勝利し、3敗をキープするも、草野が剣翔を破り、十両優勝を決定した。
- 幕内優勝、十両優勝は先場所と同様の、大の里、草野であった。幕内・十両において共に2場所連続優勝者が同じというのは、2014年7月場所・2014年9月場所での白鵬、栃ノ心以来のことである。
- 場所後の5月28日の番付編成会議で、最高位幕下以下の9人の引退が発表された。その中には両者とも48歳の聡ノ富士と澤勇も含まれており、後者は現役最古参の力士であった。場所前(番付発表前)に死去した若戸桜と、場所中に引退した元関取の北勝富士も含めると、序ノ口で全休して番付外に陥落する力士を除いて11人の力士が番付から消えることになる。
脚注
外部リンク
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