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朝紅龍琢馬
高砂部屋所属の力士 ウィキペディアから
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朝紅龍 琢馬(あさこうりゅう たくま、1998年9月24日 - )は、大阪府四條畷市出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石崎 拓馬(いしざき たくま)。身長177.0cm、体重125kg、血液型はA型[1]。最高位は西前頭12枚目(2025年7月場所)。弟の石崎涼馬も同じ高砂部屋に所属している力士である。
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来歴
要約
視点
四條畷市立くすのき小学校3年次に初心者による相撲大会に出場したが初戦で敗れ、これに激怒した母親に「スイッチが入った」ことにより[2]、地元の四条畷相撲連盟で相撲を始めることになった[1]。幼少期は相撲以外にレスリングや空手の指導も受けた[2]。
幼少期に母の課した稽古は非常に厳しく、腕立て伏せは毎日1300回やらされ、サンドバッグまで買って当たりの稽古を行い、動きが悪いと姉にステッキで殴られた。ある時父は余りのスパルタ指導を見かねて怒り出して止めに入ったが、気付けば父と石崎は一緒になって怒られていた[3]。
中学校からは明徳義塾中学校・高等学校へ進学し、中学3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会団体優勝・全国中学校相撲選手権大会個人3位、高校2年次に国民体育大会相撲競技少年の部個人3位などの実績を残した[1]。高校卒業後は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科に進学し、1年次に東日本学生相撲選手権大会115kg未満級で優勝、2年次に全日本選手権ベスト16、相撲部主将を務めた4年次に学生選手権3位などの実績を残した[1]。
大学卒業後は、明徳義塾高校OBの8代高砂(元関脇・朝赤龍)が師匠を務めている縁で高砂部屋に入門した[4]。相撲部の主将を務めていた関係で卒業式への出席を優先したため、初土俵は卒業後の2021年5月場所で踏んだ[2]。学生選手権3位の実績から三段目最下位(100枚目)格付出での初土俵となり、この場所は7戦全勝で三段目付出の力士としては史上3人目となる三段目優勝を果たした[5]。幕下に昇進した翌7月場所も6連勝スタートとしたが、7番相撲で北青鵬に敗れて幕下優勝を逃し、初土俵以来の連勝が13でストップした[6]。
2023年7月場所は東幕下5枚目まで番付を上げ5勝2敗と勝ち越し、「新十両昇進確実」と報じられ[7]、場所後の番付編成会議で、9月場所の新十両昇進が正式に発表された。四條畷市からの関取昇進は史上初。新十両を機に、四股名を「朝紅龍」に改名した。「朝紅」は「あさやけ」と読むことができ、どんな困難も乗り越えられるようにという意味が込められている[8]。このとき大の里と高橋(後の白熊)が同時に十両昇進したが、同じ場所で同一大学から3人新十両が誕生するのは大相撲史上初となった[9]。9月場所は7勝8敗でこの場所で新十両を果たした4人のうち、唯一の負け越しとなった。2024年3月場所は前半絶好調で、中日の白熊戦での不戦勝も手伝って中日勝ち越しを決め、同時点で十両優勝争いの単独トップに立っていた[10]。7月場所は初日から4連勝し、5日目も剣翔に速攻の攻めで四つになったものの、うっちゃられて連勝がストップした。東十両8枚目の地位で土俵に上がった9月場所は11勝4敗の好成績で[11]、11月場所で新入幕を果たした[12]。上がれるかどうか微妙な星での新入幕であったため、本人は新入幕会見で「まさか上がれるとは。期待していなかったので、驚きと喜びが半分ずつ」と語った[13]。
新入幕の場所は6勝9敗と負け越したため、1場所で十両へ陥落したが、1場所で幕内に返り咲き[14]。幕内通算3場所目となった2025年5月場所で、幕内では初めての勝ち越しを果たした[15]。同年9月場所では弟の石崎改め朝翠龍が十両に昇進し、史上24組目の兄弟関取になる[16]。
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エピソード
主な成績
2025年7月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:155勝120敗3休(26場所)
- 幕内成績:28勝32敗(4場所)
各段優勝
- 三段目優勝:1回(2021年5月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
2025年7月場所終了現在
※太字は2025年7月場所終了現在、現役力士。
改名歴
- 石崎 拓馬(いしざき たくま)2021年5月場所 - 2023年7月場所
- 朝紅龍 琢馬(あさこうりゅう たくま)2023年9月場所 -
脚注
関連項目
外部リンク
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