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大鹿村騒動記

2011年公開の日本映画 ウィキペディアから

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大鹿村騒動記』(おおしかむらそうどうき)は、2011年7月16日に公開された日本映画

概要 大鹿村騒動記, 監督 ...

概要

クランクイン時のタイトルは『いつか晴れるかな』。原田芳雄を「いつか主演に」という阪本順治監督の願いが実現した作品。大鹿村長野県下伊那郡に実在する村で、南アルプスを望む美しい景観と300年以上続く大鹿歌舞伎の伝統を守り続けている。この大鹿歌舞伎を題材に、笑いあり涙ありの物語が展開する。なお、村民約300人がエキストラ出演した[2]

主演の原田芳雄は2008年に出演したテレビドラマおシャシャのシャン!』(NHK長野放送局制作)の収録で同村に初めて訪れ、村人の思いに触れたことがきっかけで大鹿歌舞伎をテーマに映画化を発案した[3]。原田が公開3日後の2011年7月19日に死去したため、本作が彼の遺作となった[4]

映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で公開第1週が12位であったが、原田の訃報が伝えられた19日から動員が一気に増え7月24日までの累計動員は約7万2,000人を記録し公開第2週目で第9位となった[5]。また全国97スクリーンでスタートしたが、その後170館に増えた[6]。同年8月7日には興行収入1億5000万円を突破[6]

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あらすじ

風祭善は、大鹿村鹿肉料理の食堂「ディアイーター」を営んでいる。善は、300年以上前から伝わる大鹿歌舞伎の役者でもある。定期公演を間近に控え、仲間と稽古をしているところに、能村治と風祭貴子が現れる。善と治は幼なじみ、善と貴子は夫婦であるが、3人でディアイーターの営業を始めようとした矢先、治と貴子は東京へ駆け落ちしたのであった。18年前のことである。しかし、貴子には記憶障害があり、治は貴子の面倒を看ることができなくなったのだ。治の「善ちゃん、どうしようもなくて。返す。」という言葉に、善は激怒し治を殴りつける。善は、結局、2人を自宅へ泊めることになる。

貴子は、駆け落ちしたことはおろか、善のことも忘れており、記憶障害のため料理も満足にできない。しかし、18年前に自分が演じていた歌舞伎のセリフだけはしっかりと憶えている。そんなとき、大鹿村を台風が直撃し、村内で発生した土砂崩れに巻き込まれて、定期公演に出演する役者(佐藤浩市)が大けがをする。そのため、貴子が代役として出演することとなった。

定期公演は、善と貴子の息のあった熱演により無事終了した。貴子は記憶を取り戻し、善は過去を清算して、元通りの2人に戻るかに思えたのだが…。

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キャスト

スタッフ

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受賞

エピソード

  • 作品中で演じられている歌舞伎は「六千両後日文章 重忠館の段」といい、大鹿歌舞伎のみに残る外題である。原田芳雄は、敗者(平家)のヒーローである悪七兵衛景清を演じている。作品中では、景清の台詞である「仇も恨みも、是まで、是まで」が効果的に使われている。
  • 作中に登場する善が営む食堂 「ディアイーター」は、もともとは空き家になっていた建物をこの映画のために改装し、セットとして利用したものだったが、本作の公開をきっかけに実際に鹿肉料理を供する食堂として営業を始めている。また、大鹿村役場の建物、会議室などはすべて本物を使用しており、村長本人が村長役で出演している。鹿塩温泉「山塩館」は実在し、秘湯として人気が高い。
  • 作品中の清酒には地酒である喜久水が使われている。喜久水は辛口のすっきりとした味わいの酒として評価が高い。名水猿庫の泉の水で醸した商品もある。喜久水では大鹿歌舞伎用に「六千両」という銘柄を販売している。
  • 延江浩(のぶえ ひろし、1958年 - 、TOKYO FMチーフプロデューサー・小説家)による原案小説『いつか晴れるかな』は、東京新宿育ちで新宿二丁目ゲイバーでバイトをする大地雷音を主人公とし、彼の性同一性障害の設定が無いこと、風祭善が歌舞伎の資金を稼ぐために二丁目でゲイバーを経営しているなど映画とは異なる内容となっている。また、延江は『らいおんはーと』という小説作品でも雷音という名の少年を主人公としているが、ナイーブな性格の少年であること以外は内容・人物設定とも本作との関連は無い。
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脚注

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関連項目

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外部リンク

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