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安田 (横手市)

秋田県横手市の地名 ウィキペディアから

安田 (横手市)map
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安田(やすだ)は、秋田県横手市大字郵便番号は013-0043[3]。人口は1,543人、世帯数は687世帯(2020年10月1日現在)[1]。旧平鹿郡栄村大字安田、旧平鹿郡安田村に相当する。

概要 安田, 国 ...

地理

横手地域の南部に位置しており、西部を赤坂地区、東部と北部で前郷地区と隣接する[2]。中央部を奥羽本線が南北に縦断しており、それに並行して東側を国道13号が通る。北部ではこの国道13号が、東西に走る国道107号と合流し、横手バイパスとして両線の重複区間を経て北西部で再び分岐し、北方へと延びている[2]。国道の合流点(安田交差点)には安田歩道橋が架かっている[2]。北西部は比較的平坦な地形だが、南東へ向かうにつれて丘陵地となり、ブンナ沢や大台ではリンゴの栽培が行われている[2]。もとは水田地帯が中心であったが、現在では国道や都市計画道路中央線の沿線を中心に宅地化が進行しており、南部の八王子地区も宅地化されている[2]。また、越廻には横手警察署が所在する[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[5]都市計画法上の用途地域では、南東部の国道13号沿いが第二種住居地域に、横手バイパス沿いが準工業地域に、これらの道路に挟まれた住宅地は第一種住居地域に、北部の住宅地は第二種中高層住居専用地域に指定されており、未指定の区域もある[6]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ[7]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[8]、横手市公表のオープンデータ[9]によれば、外目の小字は以下の通りである。

さらに見る 町・字, 出典 ...
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歴史

要約
視点

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』では、安田村として村名が見え[10]享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』においても安田村とあり、家数17軒、支郷に田渡村(日渡村とも、家数3軒)がある[10]。その後、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、日渡村は飢饉によって廃村になったとある[10]

かつて羽州街道の西側には、松林に覆われた岩山が広がっていた[11]。この岩山から礼堂(現在の秋田県立衛生看護学院付近)までは、丘陵が続いていた[11]。岩山は石切場として利用され、丘陵は土取場となっていた[11]。採取された石や土は、横手や周辺の村々の家屋や土蔵の土台に用いられたとされ、横手城下の市街が形成される以前から採石が行われていたとされるが、いずれも大正期までに掘り尽くされた[11]。この石切場の南、安田原交差点の南西に位置する丘陵地には、「埋め塚」と呼ばれる場所がある。ここは、隠れキリシタン横手大眼宗事件によって処刑されたキリシタンらの遺骨が埋められた場所と伝えられている[12]。また、後の天明および天保の大飢饉において餓死した者も、この地に埋葬されたとされている[13]小野寺氏時代の処刑場は牛首戸にあったとされるが、埋め塚があったのはこの丘陵地で、現在はキリスト教の殉教碑が建つ辺りであったとされる。この場所には、かつて2本の大きなマツが立っていたが[12][13]1956年(昭和31年)に横手郷土史編纂会委員一行が現地を視察した時点では、松の木は既に伐採されており田畑になっていた。その上、周辺には白骨が散乱していたため、それらを拾い集め、一行の一人であった正平寺住職に託したという[13]

沿革

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世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[33]

さらに見る 小字, 小学校 ...

交通

鉄道

町内を奥羽本線が通るが駅はない。最寄り駅は奥羽本線北上線横手駅、もしくは奥羽本線の柳田駅

道路

施設

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脚注

参考文献

外部リンク

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