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赤坂 (横手市)

秋田県横手市の地名 ウィキペディアから

赤坂 (横手市)map
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赤坂(あかさか)は、秋田県横手市大字郵便番号013-0064[3]。人口は2,437人、世帯数は899世帯(2020年10月1日現在)[1]住居表示は全域で未実施[5]。旧平鹿郡旭村大字赤坂、旧平鹿郡赤坂村に相当する。

概要 赤坂, 国 ...

地理

横手市中央部、横手地域の西部に位置しており、東で条里婦気大堤安田、西で猪岡平鹿町上吉田、南で朝日が丘、北で横手町三本柳赤川と隣接する。東日本旅客鉄道(JR東日本)横手駅の西方に位置し、南東にのびる帯状の地帯は国道13号東南方にまで及ぶ[2]。地区の西部は緩やかな丘陵地帯で、山裾の森崎・城野岡集落ではリンゴ栽培が盛んに行われている[2]。南部は低湿地帯で、南西部の丘陵地帯には朝日が丘団地がある[2]。北部は水田地帯であり、頭無堰排水路が東西に横断する[2]。城野岡に旭小学校、郷土館(ごうしだて)に横手南中学校の教育施設がある[2]

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[6]都市計画法上の用途地域では中心部の住宅密集地は第一種中高層住居専用地域に、国道107号沿いが準工業地域に指定されている[7]

小字

2024年令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」のうち地番区域に記載されているものと[8]デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット[9]、横手市公表のオープンデータ[10]によれば、赤坂の小字は以下の通りである。

さらに見る 町・字, 出典 ...
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歴史

要約
視点

正保4年(1647年)の『出羽国知行高目録 下』には村名が見えず、享保年間までの村高を記録した郷帳に記載された町名を調べた『平鹿郡御黒印吟味覚書』では、塚堀村とともに新田として村名が見える場合もあるが、多くは記載されていない[11]。享保15年(1730年)の『六郡郡邑記』によると、赤坂村は家数40軒、支郷に上野岡村[注 1](家数10軒)・森崎村(同1軒)、元禄7年(1694年)に廃村となった柴崎村・伏山村(同6軒)がある[12]

菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、この地域の代表的姓となっている七ッ塚を紹介している[12]。七ッ塚はかつて赤坂にあり、藤原塚・鎌田塚・高橋塚・高山塚・佐藤塚・菅原塚・池田塚と呼ばれる源氏の流れを汲む落人の裔が、先祖の系図とともに名前を書いて埋めて塚にしたとされている[13][12]。また、横手から赤坂に入ったところ(赤坂後野[13])にある「蓄思碑」を紹介している[12]。これは、横手町と赤坂村間の道路が悪路であり、冬季は凍死者も出ていたことから、道路の改修工事が完成した文政3年(1820年)に死者を弔うために赤坂の入口に設置されたものである[14]。通称「ふきどりの碑」とも呼ばれたが、1972年(昭和47年)に市内の個人宅に移転している[13]

赤坂の西方には「城野岡」という地名があるが、城野岡のさらに西方に猪岡があり、『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、ここに猪岡市左衛門が居たとされていることから、猪岡市左衛門の居城があったのではないかと考えられている[15]

沿革

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世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 大字, 世帯数 ...

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[37]

さらに見る 小字, 小学校 ...

交通

鉄道

町内に駅はない。最寄り駅は奥羽本線北上線横手駅

バス

羽後交通

道路

施設

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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