トップQs
タイムライン
チャット
視点
安藤信二
日本の野球選手・指導者 ウィキペディアから
Remove ads
安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日[1] - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)[1]、野球指導者。現役時代は安藤 真児(読み同じ)の登録名も使用した。
Remove ads
来歴・人物
佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎(津久見)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。
プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。
1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが[1]、一軍では主に代打での起用が目立った[1]。1999年限りで自由契約となり退団した[1]。
2000年から2002年まで台湾大連盟の太陽で石井丈裕とともにプレーした[1]。
2006年、西武時代の先輩・大塚光二が率いる埼玉県にある社会人野球のクラブチームの『一球幸魂倶楽部』の選手兼任コーチに就任する。その後、監督に就任し2012年まで務めた[1]。その他に球団主催の野球教室や、コロナベースボールアカデミー湘南平塚校のコーチとして、子供たちの野球指導に務めた。
その後は、スポーツ用品関係の会社オーイソに勤務しつつ[1]、比企郡鳩山町でMAGUS(メガス)ベースボールスクール主任コーチとして、地域に根差した野球指導を展開。初心者から、本格的に高校野球を目指す子供たちの指導に、自らの経験を生かした指導であたっている。
2013年より、同郷の野村昭彦(野村謙二郎元広島監督の実弟)が監督を務める環太平洋大学硬式野球部のコーチとなり[2]、2017年の明治神宮野球大会準優勝後に監督に昇格した。2022年に野村が監督復帰したことで再びコーチとなった。
2023年からJPアセット証券野球部で監督を務めていた[3]が、2024年をもって同部は休部した。
2025年春からは成立学園高等学校硬式野球部の監督の就任。高校、大学、社会人のチームでの監督経験を持つこととなる[4]。
Remove ads
人物
現役時代はその容姿ゆえ女性人気が高かった[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 55 (1989年 - 1996年)
- 9 (1997年)
- 66 (1998年 - 1999年)
- 2 (2000年 - 2002年)
登録名
- 安藤 信二 (あんどう しんじ、1989年 - 1992年)
- 安藤 真児 (あんどう しんじ、1993年 - 1999年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads