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小松剛

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小松剛
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小松 剛(こまつ たけし、1986年9月26日 - )は、高知県室戸市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

概要 基本情報, 国籍 ...

現役引退後は広島東洋カープの二軍マネージャー兼広報を務めた。2022年からは人材紹介会社に転職。

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来歴

要約
視点

プロ入り前

1986年に高知県高知市で生まれる。小学3年生の時に室戸市へ転居すると、室戸市で知り合った友人や友人の保護者の影響で野球を始める[1]。小学5年生から投手を始め、室戸市立佐喜浜中学校を経て高知県立室戸高等学校に進学、3年生でエース主将を務めた。

高校卒業後は法政大学へ進学し、2年春にリーグ戦デビューするといきなり3勝を挙げ、優勝決定戦でも完投して胴上げ投手となった。その後もチームの主戦投手の一角を任せられるが勝ち星が伸び悩み、4年生秋季では背筋痛で出遅れるが、対早稲田大学1回戦で斎藤佑樹に完投勝利するなど、復調した。リーグ通算42試合登板で11勝16敗・防御率2.82、195奪三振。

2008年のドラフト会議において、広島東洋カープから3位指名を受け、入団。同年11月17日に契約金8000万円・年俸1200万円(金額は推定)で仮契約した。背番号は41

プロ入り後

2009年4月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で3番手としてプロ初登板を果たすと、2回を投げて1失点に抑えた。同年5月17日の対読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でプロ初先発、7回をソロ本塁打による1失点に抑えるも打線の援護がなく勝ち星がつかなかった。次の登板となった同年5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では5回5失点と乱調も、打線の援護によってプロ初勝利を果たした。シーズン前半は主に先発として起用されたが、後半戦は篠田純平コルビー・ルイス前田健太の活躍によって出番が減り、中継ぎとして起用される。中継ぎでも不安定な投球が続いたが5勝を挙げるなど、シーズン通して一軍に帯同した。同年12月9日に、大学時代の1学年先輩の女性と入籍。

2010年4月4日の対読売ジャイアンツ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で先発するが、長野久義にプロ第1号本塁打を場外まで運ばれるなど調子を落とし、同年は一軍定着すら果たせないまま、5試合の登板に終わった。

2011年から2012年までは一軍登板がなく、同年10月3日に球団から戦力外通告を受けたが、育成選手としての再契約を打診され[2]、同年11月13日に育成選手として再契約したことが発表された[3]。背番号は141となる。

2013年四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスに派遣され[4]、先発の柱として、チーム2位の9勝をマーク。徳島の後期優勝に大きく貢献した。しかし、10月29日に戦力外通告を受け[5]10月31日、自由契約公示された[6]

引退後

現役引退後の2014年からカープ球団広報に転身した。2018年シーズンからは2軍マネージャー兼広報に就任。その後、アスリートのキャリア支援について興味を持つようになり、家族の反対を押し切って2021年シーズンをもって退団[7]。2022年1月からは、人材紹介会社「パーソルキャリア」に転職[8]

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選手としての特徴

最速149km/hの速球とスライダー、さらに落差の大きいフォークボールを主な持ち球としている。他にも縦に割れるカーブカットボールシュートも投げる本格派速球投手である。

詳細情報

年度別投手成績

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記録

NPB投手記録
NPB打撃記録
  • 初打席・初安打:2009年5月17日、対読売ジャイアンツ9回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に東野峻から中前安打

独立リーグでの投手成績

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背番号

  • 41 (2009年 - 2012年)
  • 141 (2013年)
  • 34 (2013年) ※徳島インディゴソックスでの背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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