トップQs
タイムライン
チャット
視点
アサヒライジング
日本の競走馬 ウィキペディアから
Remove ads
アサヒライジング(欧字名:Asahi Rising、2003年2月9日 - 2022年1月23日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。主な勝ち鞍に2007年のクイーンステークス。
馬名の意味は、冠名+「昇る」。
Remove ads
経歴
要約
視点
2005年
2歳の夏に中山競馬場の新馬戦で小林淳一を鞍上にデビューするが3着に敗れる。次の未勝利戦で初勝利をし、3戦目のサフラン賞(2歳500万下)にも勝利し、2連勝を挙げる。初のGI挑戦となる阪神ジュベナイルフィリーズでは、6番人気に支持されるがテイエムプリキュアの5着に敗れる。
2006年
2006年、3歳になり、初戦の菜の花賞(オープン特別)は1番人気ながら9着、クイーンカップはコイウタの2着。年明け3戦目の桜花賞トライアルアネモネステークス(オープン特別)では鞍上が小林淳一から柴田善臣に乗り替わり、1番人気に推され2馬身差で勝利し、桜花賞の出走権を獲得した。またこのレースより管理調教師の加藤修甫が定年引退のため古賀慎明厩舎に転厩となっている。初クラシック出走となった桜花賞では逃げ切りを図りキストゥヘヴンの4着に、続く優駿牝馬(オークス)では先行し好位置につけてカワカミプリンセスの3着と好走した。
その後、海外遠征を敢行。米国G1アメリカンオークスに出走することを選択。日本の騎手は起用せず、ビクター・エスピノーザを鞍上に迎える。レースでは1番人気に支持されたものの、大きく出遅れてしまう。しかし直線鋭く伸び4馬身半差の2着と健闘。その後帰国し、アメリカンオークス以来約3ヶ月ぶりの出走となる秋華賞では5番人気に支持されカワカミプリンセスの2着と健闘した。さらにエリザベス女王杯では先行した馬にとって厳しい、速いペースとなったが4着(5位入線後、カワカミプリンセス降着に伴う繰り上がり)に粘った。
2007年
2007年の初戦は中山牝馬ステークス。1番人気に推されたが13着と大敗した。56.5キロという厳しいハンデを背負わされ、またスタートで出遅れたこと、休み明けだったこと等が影響したと思われる。しかし次走の阪神牝馬ステークスでも粘りを見せられず8着に敗れた。
ヴィクトリアマイルでは、前走、前々走の大敗で人気を落としていたが、うまくペースが落ち着いたこともあり、持ち前の粘りを見せコイウタの2着に食い込んだ。
その後、クイーンステークスに出走。開幕週の内枠が荒れていない有利な馬場を味方につけ、逃げ切りで初の重賞勝利を収め、8月30日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、107ポンドの評価が与えられた。続く府中牝馬ステークスでは1番人気に支持されたものの、デアリングハートに交わされ2着に敗れた。次走は第32回エリザベス女王杯に出走。スタートで少し出遅れながら道中は2番手につけ、直線を迎えるものの、最後は後続に交わされ7着に敗れた。
2008年
エリザベス女王杯に出走した後、脚部不安により1年近く休養し、2008年10月19日の府中牝馬ステークスに出走したが、最下位の18着に敗れた。
その後、左第2中手骨を骨折していた事が判明。年齢的なものもあって、現役続行を断念。10月31日付でJRA競走馬登録を抹消し、引退した[3]。
引退後
引退後は生まれ故郷である北海道浦河町の本巣一敏の牧場にて繁殖牝馬となった。2016年に生産されたサントルヴィル(父:ダンカーク)からは、谷川牧場が生産者となっている[4]。
2021年9月10日、引退馬協会からナイスネイチャ・33歳のバースデードネーションによる受け入れ馬として決定したことが発表され、繁殖牝馬を引退することになった。その後、鹿児島のホーストラストへ移動して余生を過ごした[5]。
2022年1月23日、放牧中に右膝上部を骨折して治癒の見込みなく安楽死となった[6]。19歳没。
Remove ads
競走成績
要約
視点
以下は、netkeiba.comの情報に基づく[7]。
Remove ads
繁殖成績
血統表
アサヒライジングの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘイロー系 |
[§ 2] | ||
父 ロイヤルタッチ 1993 黒鹿毛 |
父の父 * サンデーサイレンス1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason | |
Cosmah | ||||
Wishing Well | Understanding | |||
Mountain Flower | ||||
父の母 パワフルレディ1981 黒鹿毛 |
マルゼンスキー | Nijinsky | ||
* シル | ||||
ロッチテスコ | * テスコボーイ | |||
スターロツチ | ||||
母 アサヒマーキュリー 1991 栗毛 |
ミナガワマンナ 1978 鹿毛 |
シンザン | * ヒンドスタン | |
ハヤノボリ | ||||
ロングマンナ | * ヴィミー | |||
アサヒマンナ | ||||
母の母 タニワーデン1978 栗毛 |
* ボンモー Bon Mot |
Worden | ||
Djebel Idra | ||||
アサヒタマナー | * タマナー | |||
ジエツタ | ||||
母系(F-No.) | 1号族(FN:1-p) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Wild Risk M5×M5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
|
Remove ads
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads