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小谷優介
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小谷優介(こたに ゆうすけ、1989年(平成元年)9月23日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。滋賀県出身。彦根市立稲枝中学校、滋賀県立八日市高等学校、立命館大学経済学部卒業。住友電工所属。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
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主な経歴
- 陸上は稲枝中学校に入学してから始める[1]。
- 八日市高校では、2年生の時に県大会1位、3年生の時には10秒59をマークした[2]。しかし、インターハイでは準決勝敗退するなど目立った実績は残せなかった[3]。
大学時代
- 2008年(平成20年)4月、立命館大学に入学。
- 2010年(平成22年)9月、平塚で行われた日本学生個人選手権の100m決勝を10秒28(+3.7)で制し、全国タイトルを獲得した。
- 2011年(平成23年)4月、広島で行われた第45回織田記念国際の100mに出場し、予選で追い風参考記録ながら10秒18(+2.8)をマークすると、決勝では10秒28(+1.2)をマークし、山縣亮太や川面聡大らを抑え優勝を果たした[4]。
- 2011年(平成23年)6月、熊谷で行われた第95回日本選手権の100mに3年連続の出場を果たし、3回目にして初の決勝に進出した。決勝では優勝した江里口匡史と0秒02差の10秒40(-0.5)で2位に終わり、優勝を逃した。
- 2011年(平成23年)7月、神戸で行われた第19回アジア選手権の日本代表に選出され、100mの決勝で10秒39(+1.8)の7位となっている[5]。
- 2011年(平成23年)8月、深圳で行われた第26回ユニバーシアード日本代表に選出され、100mで10秒52(-0.8)の準決勝2組8着、4×100mリレーでは予選で日本チーム(山縣亮太-小谷-川面聡大-飯塚翔太)の2走を任されたが、日本チームはバトンミスで失格となった[6]。
- 2011年(平成23年)9月、熊本で行われた第80回日本学生選手権の100m決勝で10秒51(-1.9)をマークし、山縣亮太を抑え初優勝を果たした[7]。関西勢では1994年の朝原宣治(同志社大学)以来、17年ぶりにこの種目を制した[3]。
- 2011年(平成23年)10月、平塚で行われた第51回実業団・学生対抗の100mを10秒29(+1.5)の大会新記録で制し、最優秀選手に輝いた[8]。
社会人時代
- 2012年(平成24年)4月、住友電工に入社。
- 2012年(平成24年)4月、広島で行われた第46回織田記念国際の100m予選で10秒21(+1.3)の自己ベストとロンドンオリンピックB標準をマークした[9]。
- 2012年(平成24年)4月、川崎で行われたゴールデングランプリ川崎に出場し、4×100mリレーで日本Aチーム(江里口匡史-山縣亮太-髙平慎士-小谷)のアンカーを任された。前日にアンカーを言い渡され、当日のアップ中は緊張して何も喋れなかったという[10]。
- 2012年(平成24年)6月、大阪で行われた第96回日本選手権の100mにロンドンオリンピックB標準突破選手として出場。2年連続の決勝進出を果たしたが、決勝では10秒48(0.0)の6位に終わり、オリンピック代表入りを逃した。
- 2014年(平成26年)6月、鳥取で行われた布勢スプリントの100mに出場し、第1レースで10秒25(+2.0)の大会新記録をマークすると、第2レースでも10秒22(+1.8)の大会新記録をマークした[11]。
- 2017年(平成29年)12月、今季限りで現役引退することを発表した[12]。11月12日の立命館大学記録会にて引退レースが行われた[13]。
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自己ベスト
主要大会成績
- 備考欄の記録は当時のもの
国際大会
日本選手権
- 4x100mRは日本選手権リレーの成績
その他
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関連項目
- 桐生祥秀 - 同郷の後輩
- 立命館大学の人物一覧
脚注
外部リンク
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