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岡田広 (軍恩連)
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岡田 広(岡田 廣[2]、おかだ ひろし、1910年(明治43年)4月6日[3] - 2005年(平成17年)7月10日[4])は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。軍恩連盟全国連合会理事長。
経歴
現在の栃木県矢板市出身[3]。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部[3]教育学科を卒後、石黒奨学資金研究員。翌年陸軍に召集され、宇都宮輜重兵第14連隊に入営し、1938年(昭和13年)より日中戦争に出征。1940年(昭和15年)、招集解除となり、石黒忠篤農林大臣秘書官[5]。
1941年(昭和16年)に再招集され、同年7月より関特演により宇都宮にて新規編成された独立自動車第38大隊の第4中隊長に任ぜられる。8月の編成完結をもって満州牡丹江、台湾基隆を経て太平洋戦争後は南方戦線に投入され、フィリピン攻略戦に参加、翌年ニューブリテン島ラバウルに派遣され、1943年(昭和18年)8月19日、中隊将兵180名とともにニューアイルランド島ラトブに分遣。1944年(昭和19年)7月25日、同地で新規編成された独立混成第40旅団(長:伊東武夫中将)に編入され、同輜重隊長。しかし同年3月以降、補給は完全に途絶しており、自給自足の中で終戦を迎えた[6]。
1946年(昭和21年)に復員の後、芝浦工業大学講師・同短大教授を務めた[3]。この間、1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙と1967年(昭和42年)第31回総選挙に栃木2区から出馬するも(1回目は自民党公認で、2回目は無所属)何れも落選している[7]。
軍恩連盟全国連合会理事長を経て、1974年の参院選に全国区から自民党公認で立候補して当選し[8]、3期務めた[3]。1980年(昭和55年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章(勲五等からの昇叙)[9]。
1992年(平成4年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章[10]。同年、引退した[3]。
2005年(平成17年)7月10日、急性心不全のため神奈川県横浜市青葉区の病院で死去、95歳[11]。死没日をもって正七位から正四位に叙される[2]。
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脚注
参考文献
関連項目
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