トップQs
タイムライン
チャット
視点
岡野義光
ウィキペディアから
Remove ads
岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )は、茨城県つくば市[1]出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
Remove ads
経歴
土浦第一高校では、捕手として1956年春季関東大会県予選決勝に進出するが水戸商に惜敗。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが水戸一高に敗れる。高校の1年下に安藤統男がいた。
明治大学に進学。1年上に佐々木勲がおり、その後継として4年生からレギュラーとなる。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかった。卒業後は三協精機へ入社[1]。1962年の産業対抗では準々決勝に進むが東黎工業に敗退。
強肩に定評があり、1962年シーズン途中に中日ドラゴンズへ入団[1]。当時の中日は吉沢岳男が近鉄に移籍し、中心打者の江藤慎一を捕手に回すなど苦しい状況にあり、一軍定着が期待された。同年のシーズン終盤には10試合に先発マスクを被る。しかしその後は伸び悩み小川敏明、木俣達彦の台頭もあって出場機会に恵まれなかった。1964年には外野手も兼ね、1965年には捕手として2試合に先発。
Remove ads
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 62 (1962年)
- 9 (1963年 - 1964年)
- 25 (1965年 - 1966年)
- 31 (1967年 - 1968年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads