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NSP (バンド)

日本のフォーク・グループ ウィキペディアから

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NSP(エヌエスピー)は、岩手県出身の3人組のフォーク・グループ。一関工業高等専門学校の同級生であった3人が在学中の1972年に結成した。

概要 NSPN.S.P, 別名 ...

アマチュア時代はニュー・サディスティック・ピンク (New Sadistic Pink) として、当初はロックを中心に活動していた。フォークの曲調とバンド名が合わないため、メジャーデビューする際にNSP (N.S.P.) とした。デビュー7周年のイベントで行われた「NSPの新解釈ゲーム」では「ネコ・サル・ペンギン」が優勝し、のちにNon Stop Progression、Natural Spirit Paradise、Nasa Shopping Plazaなどがキャッチコピーに使われる。

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経歴

1972年に、サディスティック・ピンクの天野と平賀が、それまで別のバンドで活動していた中村と組んで、ニュー・サディスティック・ピンクを結成する。オーディオマニアの同級生らが、高専祭の「喫茶NSP」のライブを録音してポプコンの応募にも使用されたデモテープを、NHK盛岡放送局FMリクエストアワーに持込むと、放送されて11週間連続1位となる。

高専在学中の1973年に第5回ヤマハポピュラーソングコンテストに応募して、楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、6月に「さようなら」でデビューする。1974年に高専卒業を機に上京する。天野滋は、NSPがプロになったきっかけは「高専在学中に、仲間と組んで学園祭なんかで演奏していたら、レコード会社から『ただでレコードが作れるぞ』という話がきたから」と述べている[1]1974年に「夕暮れ時はさびしそう」がオリコン11位の大ヒットに、同年のアルバム『NSP III ひとやすみ』はオリコン4位のヒットを記録。その後も、1976年「赤い糸の伝説」がヒットし、叙情派フォークを代表するグループとなる。

1980年代に入りメンバーそれぞれが作曲、プロデュースなどソロ活動が多くなり、1985年には中村貴之が脱退する。澤近泰輔深浦昭彦を加えて活動するも1987年に平賀和人の脱退を機に、活動を停止する。のちに天野滋はソロで活動を開始する。平賀はNSPの所属レコード会社であったポニーキャニオンディレクターとして入社し、平松愛理GO-BANG'S瀬戸朝香Melodyなどの作品を担当した。

2002年にオリジナルメンバーで再結成し、1月26日に日本青年館大ホールで復活後初コンサートを催す。チケットは1時間で完売した。[要出典]

2005年2月に19年ぶりの新曲シングル「水のせいだったんです」、アルバム『Radio Days』を発売したが、7月1日午後7時8分にリーダーの天野滋が療養中の病院で脳内出血のために他界する。天野は大腸癌で闘病中も、全国ツアーや諸活動を続けた。

2008年6月に中村貴之はソロ活動を開始し、ミニ・アルバムを発売した。

2019年3月20日から「夕暮れ時はさびしそう」が東北新幹線一ノ関駅で発車メロディーに使用されている。

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「N.S.Pメモリアルスポット」

2019年7月1日に「夕暮れ時はさびしそう」の舞台となった磐井川堤防に「N.S.Pメモリアルスポット」[2]が設置された。

平賀と細坪基佳によるユニット「スリーハンサムズ」としても活動していた中村は、2021年11月27日に肺がんで他界[3][4][5]する。

2022年11月に一関市市勢功労者表彰(教育文化功労)[6]を受ける。

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メンバー

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サポートメンバー
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ディスコグラフィー

シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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ライブ・アルバム

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ベスト・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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CD-BOX

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タイアップ曲

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関連項目

脚注

外部リンク

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