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庭田重資

鎌倉時代末期から南北朝時代。権大納言。 ウィキペディアから

庭田重資
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庭田 重資 (にわた しげすけ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿非参議庭田茂賢の子。官位正二位権大納言庭田家3代。

概要 凡例庭田 重資, 時代 ...

経歴

左近衛中将蔵人頭などを歴任し、建武4年/延元2年(1337年参議延文4年/正平14年(1359年正二位[1]康応元年/元中6年(1389年)8月13日、権大納言に叙され、同日薨去[1]。享年84。

娘の源資子(すけこ、しし[2])は崇光天皇後宮に入り、初代伏見宮栄仁親王を生んだ[1]。これ以降、代々の庭田家の女子は皇室及び伏見宮家に仕え、子をもうけることとなる。

皇族との関わり

庭田家は、皇族との関わりが深い。というのも、先述の資子に続いて、栄仁親王の息子の貞成親王と結婚し、後花園天皇伏見宮貞常親王旧皇族11宮家の祖先)を産んだ幸子庭田経有の娘で重資の孫娘である[3]。また、後土御門天皇後花園天皇の子)と結婚し、後柏原天皇を産んだ朝子庭田長賢の娘で幸子は大叔母にあたる。現在の皇族にもその系譜は続いている。

官歴

注釈のないものは『公卿補任』による

系譜

脚注

外部リンク

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