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日本海大海戦 海ゆかば

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日本海大海戦 海ゆかば』(にほんかいだいかいせん うみゆかば)は、日本歴史映画東映系で1983年6月4日に公開された[2]。カラー、ビスタサイズ映倫番号:110894。

概要 日本海大海戦 海ゆかば, 監督 ...

日露戦争での日本海海戦を扱った作品[2]戦艦三笠に乗り込んだ軍楽隊を中心に描かれている。

同じ舛田利雄監督と笠原和夫脚本による『二百三高地』(1980年)、『大日本帝国』(1982年)と合わせ、「東映戦争3部作」と呼ばれる[3]。3部作はいずれも公開時に一部のマスメディアから"反動的"という批判が上がったが[3]、いずれも戦時下の最前線の地獄で血を流さなければならない戦士たちの衝突を活写する人間ドラマとなっている[3]。3部作はいずれも戦地に赴く者を死なせたくないという女性の存在をしっかり描いたことも特徴の一つ[3]。本作冒頭の要塞攻略シーンは、『二百三高地』から流用されている。三船敏郎は、1969年東宝系で公開された『日本海大海戦』と同じ東郷平八郎役で出演している。また舛田監督=笠原脚本のコンビは、本作の翌年舞台を東宝に移し、2人にとっても最後の戦争映画となる『零戦燃ゆ』を製作した[3]


あらすじ

日露戦争勃発から2年目の1905年、二百三高地の壮烈な戦いに勝利した日本軍は、日本海にてバルチック艦隊を迎え撃ち、日露戦争の勝敗を決しようとしていた。そんな折、軍楽隊隊員の神田源太郎(沖田浩之)は恋人の娼婦せつ(三原順子)の想いをふりきり、連合艦隊旗艦“三笠”に乗り込んだ…。


一軍楽隊隊員の目を通して、戦艦内部の兵士たちの日常や確執を描いている。クライマックスの海戦シーンも、艦内で傷つき斃れていく兵士たちの地獄絵図こそが中心となっており、たとえ勝ち戦であろうとも戦争が地獄であることを濃密に訴えている。連合艦隊旗艦“三笠”の軍楽隊に所属する若者たちの青春と生死を描いた戦争ドラマ。

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スタッフ

記載順、漢字表記はエンディングクレジットに準ずる。

  • 監督:舛田利雄
  • 企画:幸田清幸田清天尾完次太田浩児
  • 脚本:笠原和夫
  • 撮影:飯村雅彦
  • 特技監督:中野昭慶
  • ナレーター:仲代達矢
  • 録音:宗方弘好
  • 照明:小林芳雄
  • 美術:北川弘
  • 編集:西東清明
  • 助監督:蔦林淳望
  • 音響効果:原尚
  • 記録:勝原繁子
  • 俳優担当:和田徹
  • 製作調整:山田光男
  • 擬斗:尾型伸之介
  • 装置:開米慶四郎
  • 装飾:岡万雄
  • 背景:植田義明
  • 特殊効果:大平特殊効果久米攻
  • 美粧:井上守
  • 美容:石川靖江
  • 衣装:久保里誉江、増田和子
  • 宣伝担当:坂本年文、西尚久
  • スチール:加藤光男
  • 衣装考証:柳生悦子
  • 方言指導:星野暁一
  • 進行主任:石川通生
  • 現像:東映化学

特殊技術

音声技術協力

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キャスト

記載順、漢字表記はエンディングクレジットに準ずる。単独クレジットと並列クレジットは水平線で区切った。




  • 大島博樹
  • 吉橋定夫
  • 臺勝良
  • 中村和正
  • 鈴木勇人
  • 三上祐之
  • 小林茂樹
  • 内田伸二
  • 松井徹生
  • 田村和夫
  • 佐々木宏晃
  • 対馬隆
  • 砂川公秀
  • 向田尚央
  • 大木孝一
  • 濁川広明
  • 安田文孝
  • 斉藤進児
  • 土肥正典
  • 酒井タケシ
  • 新田直人
  • 横道克彦
  • 芹沢隆博
  • 境健治
  • あおい輝彦(小賀武志)※『二百三高地』映像流用
  • 新沼謙治(木下九市)※『二百三高地』映像流用
  • 佐藤允(牛若寅太郎)※『二百三高地』映像流用

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製作

製作の公表は1982年2月で「東映の来年(1983年)の大作二作が7月にクランクイン。一つは、来年正月第二弾公開の深作欣二監督、尾崎士郎原作の『人生劇場』。脚本が5月下旬に第一稿完成、10月初号完成の予定。もう一つは、来年夏公開の大作『日本海大決戦』(監督・舛田利雄、脚本・笠原和夫、原作・江藤淳)。年内クランクアップ、来春完成のスケジュールになっている』と告知された[4]。製作費13億円[2]

評価

脚本の笠原和夫が「またぞろ東郷平八郎を正面から描いても仕方あるまい」と、軍楽隊を扱うことにした。海軍の軍楽隊が戦闘に参加したのは日本海海戦だけで、これは使えると直感し変化球勝負に出た。結果、岡田茂東映社長(当時)は「近年稀に見るええ本やったけど、映画になったらあかんわ。あの監督、音楽的才能ないな」と総括した[5]

エピソード

  • 脚本の笠原和夫は、本作終了後、東宝で『零戦燃ゆ』の脚本を書いた後、岡田茂東映社長(当時)に呼ばれ、「"昭和天皇の映画"を作ってほしいと瀬島龍三から頼まれた、お前頼む」と脚本執筆の指示を受けた[6][7]。脚本は書き上がり、入江相政侍従長や瀬島にも見てもらい、岡田社長からもOKが出た[6]。しかし宮内庁などの反対を喰らい頓挫[6][7]。その後、5、6年の間、出来そうで出来ない状態が続き結局ボツに。力を入れた脚本が流れた笠原は大きなショックを受け、これ以降仕事に力が入らなくなってしまったという[6]。シナリオは『en-taxi』 第29号(2010年4月20日発行、扶桑社)別冊付録に収録されている[7]

その他

映像ソフト

ネット配信

  • 東映シアターオンライン(YouTube):2023年5月19日21:00(JST) - 同年6月2日20:59(JST)

脚注

外部リンク

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