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明治大学短期大学

廃止された大学 ウィキペディアから

明治大学短期大学
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明治大学短期大学(めいじだいがくたんきだいがく、英語: Women's College, Meiji University)は、東京都千代田区神田駿河台1-1[注釈 1]に本部を置いていた日本私立大学である。1950年に設置され、2007年に廃止された。大学の略称は明短および明大短大部。 この項目では前身たる明治大学専門部女子部および明治女子専門学校についても扱う。短期大学が発足する前年において、同時に申請していた明治女子短期大学については、別の記事を参照のこと。

概要 明治大学短期大学, 大学設置 ...

概要

大学全体

建学の精神(校訓・理念・学是)

教育および研究

  • 旧来の明治大学専門部女子部における教育を継承するべく、経済・法律の各専門教育を行っていた。
  • 1979年、明治大学専門部女子部から数えて創立50周年を記念に、「女性問題研究」と称した総合講座が開講された[4]

学風および特色

  • 明治大学専門部女子部が起源となっている[注 5]
  • 設置学科が実学的で就職時に有利であり、明治大学以上の就職実績をあげていた。
  • 『明短セミナー』なる雑誌が創刊される[5]
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沿革

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女子部開校式(記念館
  • 明治大学短期大学の前身は1929年に設置された明治大学専門部女子部である。1927年に明大法学部教授会で専門部「女子法科」設置案が提起され、翌年4月に文部省の設置認可を得た。同年10月の商議員会で異論が出たこともあって実際の開校は1929年にずれ込んだが、学科は法科と商科の2科となり、名称も「女子部」と改められた。
  • 女子部の修業年限は3年で、入学資格者は5年制高等女学校卒業者等とされ、4年制高等女学校卒業者のために1年制の予科も設けられた[6]。入学者の年齢層は広く、「女学校を出たばかりの可愛いお嬢さんに交つて、四十を越えた老婦人」もいたという[7]
  • 女子部は法科・商科あわせて定員350名だったが、初年度は法科93名、商科12名と定員を下回った[8]。女性弁護士を認める弁護士法改正(1933年改正、1936年施行)が遅れたこともあり[9]、退学者が続出。入学者も減少し、1935年(昭和10年)、入学者が21名となったときは廃止論が浮上した。1938年久米愛三淵嘉子中田正子が司法試験に合格して日本初の女性弁護士となると一転して入学者が増加し、存続の危機は免れた[9]1949年には三淵嘉子と石渡満子が日本初の女性裁判官になるなど、女子法曹界の先駆者としての功績は大きい。
  • 明治女子専門学校(1944年に女子部を改組)は戦後の学制改革時に短期大学部へと改編された。その裏には連合国軍総司令部傘下の民間情報教育局(CIE)担当官ルル・ホームズの助言と指導があった[10]
  • 1980年代以降の女性の高学歴化により4年制大学への編入学目的の入学者が増えたこと、法律や経済といった社会科学系短大の将来に懸念が示されたことなどもあって4年制学部への改組・転換の議論が進められ、情報コミュニケーション学部への移行の形で廃止された[11]

年表

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女子部学生による模擬裁判
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左から久米愛三淵嘉子中田正子(1939年)
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基礎データ

所在地

象徴

教育および研究

組織

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昭和26年度の学生募集広告

学科

当初、設けられていた学科

設置計画のあった学科

専攻科

  • なし

別科

  • なし

取得資格について

研究

  • 『明治大学短期大学紀要』[68]

学生生活

部活動・クラブ活動・サークル活動

  • 明治大学短期大学で活動していたクラブ活動:短大独自のクラブは特になく、体育系・文化系ともに4年制の明治大学の学生と混合になっていた。
    • 応援団リーダー部では1959年に短大の学生が初めて入部している[69]

学園祭

  • 明治大学短期大学の学園祭は「駿台祭」と呼ばれ、4年制の学生と混合で行っていた。

大学関係者と組織

大学関係者一覧

歴代学長
教員
4年制の明治大学各学部の教員が短大に出講し、短大の女性教員も各学部に出講していた[70]

出身者

施設

キャンパス

  • 1994年に短期大学新校舎(12号館)が完成。

対外関係

他大学との協定

カナダ

イギリス

系列校

卒業後の進路について

編入学・進学実績

関連項目

注釈

注釈グループ

  1. 現在は、統合元である明治大学の所在地。
  2. 情報コミュニケーション学部を設置と引き換えに、平成16年度より学生募集停止[1]
  3. 明治女子専門学校以前より設置されていた法律科・商科を継承して法律科・経済科を置く。ちなみにこれらの学科は、当記事の設置元が同時に設置申請していた明治女子短期大学に含まれていた学科を編入する形で設置。これにより、そちらの短期大学の設置自体は取り下げている。
  4. 右記資料では225名として計画されていたことがうかがえる[51]
  5. 最終募集となった2003年における入学定員は212名[62]
  6. 最終募集となった1957年の入学定員は80名[63]
  7. 入学定員40名[65]

補足

  1. ほか学科も参照のこと。
  2. 出典[2]。なお、うち2学科は、当記事と同じ設置主体元が同時に設置計画していた明治女子短期大学のものだった。
  3. 本来は明治女子短期大学のものだった。
  4. ただし、沿革の欄でも述べたように新聞科第二部・社会科第二部は男女共学だった。
  5. 短期大学名 明治大学短期大学部
  6. 東京明治工業専門学校を短期大学部に統合する形で設置。
  7. うち51
  8. うち女9
  9. 昭和33年度より学生募集停止[26]
  10. うち女7
  11. うち女3
  12. 出典[28]。これ以後、学科の増設はなく、短大となってからは事実上の女子短大として生まれ変わることになる
  13. 出典[30]昨年度の資料[31]及び本年度のそれ[32]も其々参照のこと。
  14. 1977年に女性初の判事
  15. 出典[39][40][41]昨年度の資料[42]及び本年度のそれ[43]も其々参照のこと。
  16. 出典[47][48]昨年度の資料[49]及び本年度のそれ[50]も其々参照のこと。
  17. 出典[53]。うち1回生 536[54]
  18. 出典[56][57]昨年度の資料[58]及び本年度のそれ[59]も其々参照のこと。
  19. 一部「工学科」として表記している。設置はされたものの、諸事情により学生募集を行うことなく廃止された[64]その結果、事実上は幻の学科ともいえる。
  20. 右記資料が最後の記載となっている[22]
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出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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