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木曽海道六十九次

浮世絵木版画の連作 ウィキペディアから

木曽海道六十九次
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木曽海道六十九次(きそかいどうろくじゅうきゅうつぎ)は、天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師渓斎英泉および歌川広重により描かれた浮世絵木版画の連作。図版の表記どおり「街道」ではなく「海道」として記載する。

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剃髪した歌川広重像。50歳を超えている[1]歌川国貞作。

江戸日本橋三条大橋を結ぶ中山道の69カ所の宿場、出発地点の日本橋の合計70枚で構成されている。

当初この連作を刊行したのは東海道五十三次を出版した保永堂(竹内孫八)であった。途中からは錦樹堂(伊勢屋利兵衛)が携わるようになり、保永堂との合版を経て錦樹堂の単独出版となり。完結後は、版権は錦橋堂(山田屋庄次郎)へと移った。[2]

中山道の宿場69

要約
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中山道宿場数は69であるが、この連作では出発地の日本橋を1番とし、最後の大津宿を70番とする朱印が入っている。

  • 図版のタイトルは、広重が描いたものは全て「木曽海道六拾九次之内 ○○」であるが、英泉が描いた板橋・蕨・大宮・上尾・倉賀野・沓掛・追分・塩尻・奈良井・藪原・馬籠・鵜沼・草津は「木曾街道 ○○」、日本橋は「木曾街道 續ノ壹 日本橋」、浦和・本庄は「支蘓路ノ驛 ○○宿」、桶川・深谷は「岐阻街道 ○○」、鴻巣は「岐岨街道 鴻巣」、熊谷は「岐阻道中 熊谷宿」、岩村田は「木曾道中 岩村田」、野尻は「木曾路驛 野尻」、河渡は「岐阻路ノ驛 河渡」、坂鼻・坂本は「木曽海道六十九次之内 ○○」である。
  • 絵番号46(宿場として45番目)の中津川宿は当初、雨の中津川と呼ばれる雨の風景が描かれたが、後の版では晴れの風景が描かれている。雨の中津川は希少とされている。
  • 絵番号64(宿場として63番目)の鳥居本の図には、「六拾三」の朱印が間違って入っている。
  • 絵番号67(宿場として66番目)の武佐宿の図には、「六拾六」の朱印が間違って入っている。
  • 絵番号69(宿場として68番目)の草津宿の図には、「六拾八」の朱印が間違って入っている。
さらに見る 絵番号, 絵師 ...
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脚注

関連項目

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