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東海線

韓国鉄道公社の鉄道路線 ウィキペディアから

東海線
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東海線(トンヘせん、とうかいせん)は、大韓民国釜山広域市東区釜山鎮駅江原特別自治道三陟市三陟駅を結ぶ韓国鉄道公社(KORAIL)の鉄道路線。

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概要 東海線, 各種表記 ...
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元来は朝鮮総督府によって計画された釜山から元山までの路線であり、当路線および三陟線嶺東線の一部と京江線の末端部、東海北部線朝鮮民主主義人民共和国鉄道省金剛山青年線がその大部分に相当する。

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概要

韓国高速鉄道(KTX)の浦項乗り入れ計画にあわせ、韓国鉄道施設公団京釜高速線東海南部線を結ぶ連結線の建設と、複線電鉄化事業中の東海南部線の一部区間で先行して移設を行なった。2015年3月の暫定開業に合わせ、KORAILは京釜高速線との分岐点から東海南部線との合流点を経て浦項駅へ至る区間の名称を「東海線」と命名した。

また太和江 - 浦項間については、線路自体がより内陸部に移設され、新慶州駅を経由するルートへ変更された。これは既存路線の改良だけでは遺跡調査の費用負担や工期延長が懸念されたことと、新羅時代の遺跡を抱える慶州歴史地域世界遺産登録にあたり、ユネスコが線路の郊外移設を条件としたことが理由である[1]

歴史

要約
視点

元々は釜山から慶州江陵襄陽を経由して元山へ至る鉄道路線として、日本統治時代朝鮮総督府鉄道が計画・建設したもので、朝鮮半島の東海岸沿いを通る路線である。1929年に最初の区間が部分開業、その後昭和恐慌や、日支事変から大東亜戦争への戦線拡大による建設遅延がありながら、終戦時点までに元山から襄陽までの東海北部線、釜山から慶州を経て浦項までの東海南部線、そして墨湖から北坪(現在の東海)を経て三陟までの区間(現在の墨湖港線三陟線に当たる)の開業をみた。

1945年日本の降伏後、朝鮮は北緯38度線を境としてアメリカ占領区域とソ連占領区域の南北に分断され(連合国占領時代の始まり)、東海線の線路も東海北部線がソ連、その他の路線がアメリカの管轄とされた。東海北部線は1948年朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へと引き継がれたが、1950年朝鮮戦争勃発により運行が中断された。

その後、1953年朝鮮戦争休戦協定軍事境界線が引かれると、東海北部線は途中で境界線を跨ぐことになった。朝鮮戦争によって損傷を受けた鉄道は、人口が少ない地域を通る上に、敵対する国家に向けて伸びる鉄道であり、路線としての重要性の低さ、安全保障上の懸念から南北いずれでも復旧されることなく荒廃するままに放置され、南側では1967年までに正式な廃線となった。一方、東海南部線と東海市一帯の路線は大韓民国に引き継がれ、朝鮮戦争の一時期を除いて、鉄道庁によって営業が続けられた。また、嶺東線建設に合わせ、東海線の一部区間になる予定であった東海 - 江陵間の未成区間が嶺東線の一部として1962年に新規開業した。だが、その他の区間については、建設の費用対効果が乏しいことから手が付けられないまま21世紀を迎えた。

このような状況は、1998年金大中政権が誕生して太陽政策を始めると大きく変わった。2000年南北首脳会談が開かれると、京義線と共に東海線を完成させることが南北会議で合議された(京義線・東海線鉄道および道路の連結事業参照)。アジア太平洋経済社会委員会 (ESCAP)が2001年に策定したアジア横断鉄道計画では、東海線が韓国・日本からロシアヨーロッパ貨物を運ぶ鉄道網の一角に組み込まれることとなり、戦前に日本が計画・実行した欧州への足がかりとしての東海線建設は、戦後半世紀を経て再び注目されるようになった。

既に北朝鮮側では東海北部線の元山 - 外金剛(後の金剛山青年駅)間が金剛山青年線として1996年に再開通していたため、軍事境界線を越える区間が優先的に建設された。その後、北朝鮮側の一方的な中断などがあって延期されていたものの、南北間交渉の進展によって両者は2007年5月17日に試運転を行うことで合意し、試運転は金剛山青年駅から軍事境界線を越えた先にある猪津駅までの間で正式に履行された。だが、それ以降は南北関係の冷却によって南北の連結事業が事実上中断となっており、2016年時点で軍事境界線を越える定期列車は運行されていない。

一方韓国国内では、韓国鉄道施設公団が日本海沿岸の浦項市三陟市を南北に繋ぐ路線の建設を行い2018年に盈徳駅まで開業、2025年に三陟駅まで開業した。さらに江陵から襄陽を経て猪津駅に至る区間(東海北部線の復旧および未成線)については2022年から工事が開始され、2027年に開通予定となっていた[2]。これにより軍事境界線および北朝鮮側の復旧区間である金剛山青年線を含め、釜山から元山におよぶ日本統治時代から計画された東海線の全区間が開通することになっていた。

2024年9月、北朝鮮軍は『韓国との「南側の国境を恒久的に遮断」する「軍事措置」を講じる』と発表、北朝鮮はすでに東海線の鉄道の一部を撤去していると見られている[3]

年表

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路線データ

  • 路線距離:310.7km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:50駅(信号場含む)
  • 複線区間:釜山鎮駅 - 浦項駅(149.7km)
  • 電化区間:全線(交流25kv、60Hz
  • 保安装置:ATS

駅一覧

要約
視点

:広域電鉄運行区間

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リンク

脚注

関連項目

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