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京釜線
韓国鉄道公社の鉄道路線 ウィキペディアから
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京釜線(キョンブせん)は、大韓民国ソウル特別市中区にあるソウル駅と釜山広域市東区にある釜山駅とを結ぶ、韓国鉄道公社(KORAIL)の鉄道路線である。国土交通部『鉄道距離表』における正式路線名は京釜本線[1]。
大田、大邱を経由しながらソウルと釜山という2大都市を結ぶ韓国の最重要幹線である。また、同線はソウル・釜山から湖南線、全羅線、長項線、慶全線といった主要幹線への直通輸送ルートも形成しており、輸送量は旅客・貨物とも常に一位である。そのため、日本における東海道本線に相当する役割を果たしている。
最重要幹線であることから路線の整備が優先的に行われており、複線化は日本統治下の京義線(1943年)に次いで1945年に、電化も首都圏電鉄と山岳路線の太白線・咸白線を除くと京釜高速線・湖南線(2004年)に次いで2006年に全線で工事が完了している。また、過密輸送を改善する目的でソウルから天安までの首都圏電鉄区間は複々線化され、線形が良いことから一般列車も最高速度150 km/hで走行する。
運行列車は高速列車KTX・特急格電車ITX-セマウルや機関車けん引の客車列車ムグンファ号などの長距離列車、通勤型車両の広域電鉄及び貨物列車と多岐に及んでいる。だが、近年では費用対効果が悪化しており、2017年にKORAILが出した5,283億ウォンの赤字のうち、約65.7%に当たる3,466億ウォンが同線から発生していた。
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路線データ
歴史
要約
視点
戦前

19世紀後半、朝鮮政府は財政上逼迫した状態で、多くの採掘権等の利権を外国人に売却していた。その中で、漢城(現:ソウル)と仁川を結ぶ京仁鉄道は、アメリカ合衆国のモーリスが敷設権を獲得して建設を開始したが、労働争議、支払い争議問題で頓挫し、建設の半ばで180万円で日本の渋沢栄一らの京仁鉄道合資会社に売却し、完成にこぎつけた。これが朝鮮半島最初の鉄道となった京仁線である。モーリスは漢城と釜山を結ぶ鉄道敷設権も同時に獲得していたが、資金難のために敷設権を日本が譲り受けて京釜鉄道株式会社を設立し、1901年に着工した。建設中の1904年に日露戦争が勃発すると、軍事物資の決戦輸送のために突貫工事で建設され、一部河川などはフェリーで輸送する暫定的なものながら1905年に全線開通し、日本の対露戦勝に貢献した。
鉄道の重要性より、多くの鉄道の鉄道国有化に合わせて韓国統監府鉄道管理局の所管となり、統監府鉄道庁、日本政府韓国鉄道局、日韓併合を経て朝鮮総督府鉄道局の運営となった。京釜線は京城と新義州を結ぶ京義線と共に日本の大陸政策の基幹となる最重要路線で、1910年代には全面改良され、いち早く複線化も完成した。蒸気機関車と客車は概ねアメリカ製で鈍重ではあったが、蒸気機関車は高速高性能で、日本にはない迫力を感じさせた。また、南満洲鉄道(満鉄)の路線と接続して国際列車が運転され、一時的だが朝鮮全域の鉄道運営が南満洲鉄道に委託されたこともある。
昭和になると、日本製の高性能機関車と軽量客車の登場で所要時間が短縮、関釜連絡船と接続して特急「あかつき」や急行「ひかり」・急行「興亜」など多くの優等列車が運行されたが、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦局悪化と共に「ひかり」・「興亜」を除く優等列車はほぼ廃止され、普通列車も所要時間の延長と区間の短縮が繰り返された。
戦後
1945年に日本の朝鮮統治が終わり、1948年に大韓民国が成立するが、京釜線の基幹路線としての地位は変わることがなかった。朝鮮戦争では鉄道施設への被害もあったものの、多くの軍事物資と兵員の輸送に貢献した。戦後も多くの貨物・旅客を輸送して経済成長に貢献し、優等列車も多数設定された。また、アメリカの援助で導入された大馬力ディーゼル機関車が蒸気機関車廃止による無煙化と近代化、旅客・貨物の大量高速輸送を支えた。
1974年8月15日にはソウル駅から水原駅までが電化、ソウル駅から永登浦駅までが複々線化される。日本から導入された電車が複々線の電車線を走行し、同時に開業したソウル地下鉄1号線を経由、京元線城北駅(現・光云大駅)まで運転を開始した。永登浦駅から水原駅までは1981年12月23日に列車線と電車線が分離・複々線化され、電車の大増発が実現した。この後、ソウル首都圏にくまなく都市鉄道網が整備され、現在の広域電鉄に至る。また、1984年から列車線を利用した『高速電鉄』(後に『直通』、現『急行』)の運転を平日朝夕に開始したが、長距離列車が数多い中で1日3, 4本程度という状態が20年間続いた。
一方、長距離路線では首都圏の電化開業と同時に、京釜線を中心にした鉄道網の高速輸送を目的とした超特急「セマウル号」が登場した。セマウル号には1986年から国産の新型機関車と専用客車、専用気動車が続々と登場し、ソウル駅と釜山駅を最速4時間10分で結んだ。
しかし、京釜線の輸送力も限界に近づいていた。ソウルと釜山という2大都市のほかにも大田や大邱を抱え、湖南線、全羅線、長項線、慶全線といった主要幹線への輸送が加わり、1990年代には輸送力がピークに達した。このため、抜本的な解決策として増線が計画された。
2004年4月1日にフランスTGVの技術を採用したKTX京釜高速線の1期区間が開業し、ソウル駅 - 釜山駅の所要時間は3時間を切った。これによって在来線である京釜線を走行する旅客列車が削減され、またKTXは専用線を走行する区間が多い為、貨物列車や他路線への直通列車を増発する余裕が生まれた。
首都圏電鉄(現:広域電鉄)では都心の鷺梁津駅 - 九老駅が三複線化し、鷺梁津駅止まりの電車が設定された。この三複線は後に龍山駅へ暫定的ながら延伸し、1999年1月29日に京仁線の複々線化が完成して、富平駅から龍山駅まで急行運転を開始した(ただし、京釜線内は各駅停車)。
南部方面では、2003年4月30日に水原駅から餅店駅までが電化・複々線化して電車がソウル中心部から直通運転、広大な車両基地を備えて天安駅延伸に備えた。そして、2005年1月20日に餅店駅から天安駅までが電化・複々線化され、ソウルからの直通運転列車が忠清南道まで運行されることになった。さらにKTX開業によって余裕の生まれた列車線を使用した急行運転も開始した。
KTXの乗り入れと広域電鉄の延伸開業によって電化区間が拡大したが、その後も引き続いて残り区間の電化が進められ、2006年12月8日に最後まで非電化で残っていた沃川駅 - 新洞駅間の電化が完了し、京釜線の全線電化は達成された。そして新型電気機関車による本格的な運転が2007年3月1日から始まり、今後の高速運転による輸送力増加が期待されている。
2010年には京釜高速線の2期区間が開業し、従来まで東大邱駅 - 釜山駅間で京釜線を走行していたKTXの多くが京釜高速線経由となった。しかし、大田駅・東大邱駅・釜山駅のそれぞれ前後区間では在来線と高速線が線路を共用しており、運行上のネックともなっていたため線増工事が行われ、2015年に3期区間として完成。これにより、ソウル市内区間を除いて在来線と高速線は完全に別線化された。
なお北朝鮮では、この路線と京義線の一部をあわせた平壌から釜山までを平釜線としている。線路自体は接続されているものの、現実には自国実効支配下の開城までしか旅客営業されていない。
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沿革
- 1901年6月25日:京釜鉄道株式会社創立[2]。
- 1901年8月20日:技師長笠井愛次郎により軌間4呎8吋5分(1435mm)、[3]軌条七十五磅 (34Kg) とした。永登浦にて北部起工式、翌21日に釜山草梁にて南部起工式を実施。
- 1902年12月30日:京釜鉄道と京仁鉄道合資会社の合併案、合併仮契約締結[2]。
- 1903年11月1日:京釜鉄道と京仁鉄道合資会社の合併認可[2]。
- 1905年1月1日:京城駅 - 草梁駅間が開業[2]。
- 1906年1月20日:小井里駅開業。
- 1906年3月30日:京釜鉄道買収法公布[2]。
- 1906年5月15日:楡川駅開業。
- 1906年7月1日:京釜鉄道株式会社から統監府鉄道管理局へ移管[2]。
- 1908年4月1日:草梁駅 - 釜山駅間が開業[4]、始興駅開業。
- 1909年11月1日:芙江駅開業。
- 1910年6月25日:増若駅廃止[5]。
- 1913年4月1日:釜山駅 - 釜山桟橋駅間が開業[6]。
- 1916年2月:芙江駅 - 大田駅間、若木駅 - 大邱駅間改良。
- 1916年11月1日:金泉駅 - 若木駅間の線路付け替えに伴い金烏山駅廃止。大新駅、牙浦駅、亀尾駅開業。
- 1918年6月:釜山鎮駅 - 釜山駅間が複線化。
- 1918年7月25日:若木駅開業。
- 1918年10月25日:新洞駅開業。
- 1919年3月31日:西大門駅廃止。
- 1919年6月:永同駅 - 金泉駅間改良。
- 1919年8月1日:南省峴駅開業。
- 1919年12月:大田駅 - 永同駅間改良。
- 1920年11月:草梁駅 - 亀浦駅間移設に伴い釜山鎮駅移転。
- 1921年1月1日:枝川駅開業。
- 1922年5月11日:内板駅開業。
- 1923年5月15日:大邱駅 - 清道駅間改良。
- 1925年11月1日:全東駅、直指寺駅、顧母駅開業[7][8]。
- 1926年10月1日:細川駅、三省駅開業[9]。
- 1928年11月1日:沙上駅開業。
- 1930年10月1日:懐徳駅開業。
- 1934年4月1日:梅浦駅開業[10]。
- 1935年8月11日:安養プール臨時乗降場開業。
- 1935年12月1日:稷山駅開業[11]。
- 1936年4月1日:京城駅 - 永登浦駅間を京仁線から京釜線に線籍変更。
- 1937年8月4日:新岩信号所開業。
- 1937年10月24日:新岩信号所廃止。
- 1938年4月1日:軍浦場駅を軍浦駅に改称。
- 1938年6月15日:弥勒信号場開業。
- 1938年8月1日:新岩信号場再設置。
- 1939年6月15日:永登浦駅 - 大田駅間複線化。
- 1939年8月31日:安養プール臨時乗降場廃止。
- 1940年4月:三浪津駅 - 釜山鎮駅間複線化。
- 1943年12月10日:釜山駅を釜山埠頭駅に改称。
- 1943年12月30日:梧井駅開業[12]
- 1944年3月1日:富谷駅開業。
- 1944年6月1日:美田信号所開業。
- 1944年6月15日:梅浦駅廃止[13]。
- 1944年8月1日:京城駅 - 永登浦駅間複々線化。
- 1945年3月1日:大田駅 - 三浪津駅間の複線化により全線複線化完成。
- 1945年6月10日:釜山埠頭駅を釜山駅に再改称。
- 1945年6月16日:大成駅開業[14]。
- 1946年2月18日:梅浦駅再開業。
- 1947年9月25日:京城駅をソウル駅に改称。
- 1954年3月10日:細柳信号所開業。
- 1956年2月21日:増若駅再開業。
- 1960年5月16日:池灘駅開業[15]。
- 1964年7月1日:覚渓駅開業[16]。
- 1965年7月23日:草梁駅廃止。
- 1965年11月1日:釜山駅を営業休止にして釜山鎮駅に統合[17][18]
- 1965年12月10日:沙谷駅開業。
- 1966年4月8日:蓮花駅が開業[19]。
- 1966年8月6日:安養プール場臨時乗降場再開業[20]。
- 1967年5月1日:加豊臨時乗降場開業。
- 1967年6月10日:弥勒臨時乗降場再開業。
- 1967年6月11日:新巨駅開業[21]。
- 1968年9月9日:博覧会臨時乗降場開業[22]。
- 1968年10月20日:博覧会臨時乗降場廃止。
- 1969年3月25日:九老信号所開業。
- 1969年6月10日:東大邱駅開業[23]、釜山駅営業再開[24]。
- 1969年8月17日:安養プール場臨時乗降場廃止[25]。
- 1973年6月1日:九老信号所廃止。
- 1973年12月1日:九老南信号所開業。
- 1974年8月15日:ソウル駅 - 水原駅間電化および広域電鉄の運行開始。増若駅廃止。南営駅、大方駅、加里峰駅、冠岳駅、鳴鶴駅、華西駅開業[26]。
- 1974年12月5日:加豊臨時乗降場廃止。
- 1975年12月29日:新岩信号場廃止。
- 1978年1月1日:梧井駅廃止、新岩信号場再開業。
- 1978年 1月10日:大田操車場駅開業。
- 1978年 5月1日:瑞倉信号場開業。
- 1979年2月1日:栗田駅開業。
- 1979年6月15日:斗井信号場開業。
- 1981年12月23日:永登浦駅 - 水原駅間複々線化[27]。
- 1982年8月2日:石水駅開業。
- 1984年1月1日:栗田駅を成大前駅に改称。
- 1984年5月22日:新道林駅開業[28]。
- 1988年10月25日:衿井駅開業。
- 1991年11月23日:永登浦駅 - 九老駅間三複線化[29]。
- 1992年3月2日:弥勒臨時乗降場廃止。
- 1993年8月7日:大田国際博覧会開催に合わせてエキスポ臨時乗降場開業。
- 1993年11月8日:エキスポ臨時乗降場廃止。
- 1994年3月30日:釜山鎮駅 - 大田駅間によるピドゥルギ号運転中止[30]。
- 1994年12月1日:成大前駅を成均館大駅に改称。
- 1996年12月31日:ソウル駅 - 永登浦駅間が三複線化。
- 1997年4月30日:新吉駅開業[31]。
- 1998年1月7日:禿山駅開業。
- 1999年3月10日:華明信号場開業。
- 1999年6月1日:ソウル駅 - 釜山駅間の長距離運行のトンイル号がムグンファ号に昇格。
- 2000年1月1日:楡川駅を上東駅に改称。
- 2003年4月30日:水原駅 - 餅店駅間電化・複々線化および広域電鉄の運行開始[32]。
- 2004年4月1日:KTX京釜高速線1期区間開業。大田操車場 - 沃川駅間および新洞駅 - 釜山駅間電化。
- 2004年6月25日:富谷駅を義王駅に改称。
- 2005年1月20日:餅店駅 - 天安駅間電化・複々線化および広域電鉄の運行開始。
- 2005年3月30日:天安駅 - 鳥致院駅間電化。
- 2005年7月1日:加里峰駅を加山デジタル団地駅に改称。鳥致院駅 - 大田操車場間電化。
- 2005年11月1日:佳川駅開業[33]。
- 2005年12月27日:洗馬駅、烏山大駅開業。
- 2006年6月30日:振威駅、芝制駅開業。
- 2006年12月8日:沃川駅 - 新洞駅間電化により全線電化完了[34]。
- 2007年3月1日:電気機関車による運転を開始。
- 2008年12月29日:始興駅を衿川区庁駅に改称。
- 2010年1月21日:堂井駅開業。
- 2010年11月1日:京釜高速線2期区間開業。
- 2014年5月12日:ITX-セマウル運行開始。
- 2014年6月30日:勿禁駅がITX-セマウル停車駅に追加、ソウル駅 - 釜山駅間のセマウル号廃止。
- 2015年4月2日:天安駅がITX-セマウル全列車停車駅となる。
- 2015年8月1日:倭館駅がITX-セマウル停車駅に追加。
- 2017年5月1日:ITX-青春運行開始。
- 2018年3月23日:ITX-青春運行中止。
- 2019年4月17日:鉄道路線番号を302に変更[35]。
- 2020年11月24日:芝制駅を平沢芝制駅に改称。
- 2022年3月31日:西大邱駅開業[36]。
- 2023年9月1日:ITX-マウム運行開始[37]。
- 2023年12月28日:勿禁駅がKTX停車駅に追加[38]。
- 2024年12月14日:大慶線 として亀尾駅 - 慶山駅間が広域電鉄化[39]。
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駅一覧
首都圏電鉄区間(ソウル - 天安)
- 首都圏電鉄(1号線)の種別・停車駅については省略。「首都圏電鉄1号線」を参照。
- ●:全列車停車(◎はその列車の始終着駅)、▲:一部列車停車、|:全列車通過
- ITX-セマウル・ムグンファ号・ヌリロの場合、釜が京釜線系統の発着駅で、湖が湖南線・全羅線・長項線系統の発着駅である。
- ※:KTXは、ソウル駅・龍山駅のいずれかまたは両方に停車する。
天安 - 釜山
- ●:全列車停車、▲:一部列車停車(一日20本以上)、△:一部列車停車(一日20本未満)、|:全列車通過
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廃止区間
- 釜山駅 - 釜山桟橋駅
廃駅
使用車両
一般列車
高速鉄道
電車
客車
電気機関車
ディーゼル機関車
広域電鉄
いずれも電車
自局車両
- 1000系
- 311000系 (5000系)
- 光明シャトル専用319000系
乗り入れ車両
過去の使用車両
一般列車
気動車(ディーゼル動車)
ディーゼル機関車
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脚注
関連項目
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