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板倉寛樹
日本の野球選手 ウィキペディアから
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板倉 寛樹(いたくら ひろき、1990年9月8日 - )は、栃木県栃木市出身の日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投左打。日米の複数の独立リーグ球団でプレーした。
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経歴
プロ入りまで
佐野日本大学高等学校を経て日本大学に進むが、中退した。2010年にベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)のトライアウトを受験し、信濃グランセローズから12月のリーグドラフトで指名を受ける[1]。
プロ入り後
2011年は43試合に出場して打率.271の成績だった[2]。翌2012年のシーズン開幕後に信濃を退団、5月21日に同じリーグの富山サンダーバーズ(現・富山GRNサンダーバーズ)に入団した[3]。
2013年シーズン開幕前にアメリカ合衆国のテキサス・ウィンターリーグでテキサス・サンダーに派遣され[4][5]、首位打者を獲得した[6]。これを受けて、3月29日にユナイテッドリーグ・ベースボールのリオグランデバレー・ホワイトウィングスに移籍した[7]。アメリカではホワイトウィングスからフォートワース・キャッツに移る[5]。その後帰国して、8月15日に富山に再入団した[8]。富山(2015年より富山GRNサンダーバーズに改称)では2015年までプレーする。
2015年シーズン終了後に四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験してリーグのドラフト会議で香川オリーブガイナーズより指名され[9]、入団した。香川でプレーした2016年は、リーグの外野手ベストナインに選出された[10]。香川にはNPB入りする目的で加入したものの、それが叶わなかったため1シーズンで退団した[11]。退団時のインタビューで「現実的にNPBを目指せる場所を目指します」とコメントした[11]。
2017年はこの年からBCリーグに加入した栃木ゴールデンブレーブスに所属し、自ら立候補してチームの初代主将を務めた[12][13]。開幕時の報道では「地元」である栃木への加入について「率直にうれしい」とコメントした[12]。シーズン終了後に退団する[14]。
2018年に再び渡米し、カナディアン・アメリカン・リーグのロックランド・ボールダーズに所属した[5]。
2019年はエンパイア・プロフェッショナル・ベースボール・リーグのサラナックレイク・サージ (2019)[15][16]とプラッツバーグ・サンダーバーズ[16]、2020年はアメリカン・アソシエーションのシカゴ・ドッグスで[5]、それぞれプレーした。
2022年はフロンティアリーグのエンパイアステート・グレイズでプレー[17]。
一方、アメリカではエンパイア・プロフェッショナル・ベースボール・リーグのジャパンアイランダーズのオーナーも務めており、2022年には女子選手の桑本輝良を日本から呼び寄せてプレーさせている[18]。
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詳細情報
国内独立リーグの打撃成績
背番号
※日本の独立リーグのみ
- 6(2011年 - 2012年途中)
- 39 (2012年5月21日 - 2013年3月29日、2013年8月15日 - 2016年)
- 9 (2017年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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