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林炅玩
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林 炅玩(イム・ギョンワン、 1975年12月28日 - )は、大韓民国出身の元プロ野球選手(投手)。
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経歴
ロッテ時代
1998年にロッテ・ジャイアンツへ入団した。
2004年には22ホールドを記録してホールド王に選ばれるなどの中継ぎとして安定した結果を残してきた。だが、彼も兵役不正が発覚したためシーズン後直ちに入隊して2005年まで釜山鎮警察署で服務。
2008年シーズンには抑え投手に転向したが精彩を欠き、7月26日ハンファ戦から9月まで二軍へ降格。再度一軍昇格を果たしたが、再びこれといってセーブできずシーズンを終える。
2009年、中継ぎへと再転向。不本意だった昨シーズンとは対照的に、四球で崩れず要所で打たせて取る粘り強い投球で結果を残した。
2011年、自己最多・チーム最多の72試合に登板すると、オフにFA(フリーエージェント)権を行使した。
SK時代
2012年1月、3年契約でSKワイバーンズへ移籍した[1]。彼の補償選手には林勳が選ばれたがわずか20日で鄭大炫の補償選手としてSKに復帰したため事実上の金銭補償になった。
だがSKでの3年間はセーブを1つも挙げられないなど成績が振るわず、2014年の契約満了を持って退団した。
ハンファ時代
2015年よりハンファ・イーグルスに移籍したが、1試合の登板に終わりシーズン中の7月にウェイバー公示され退団した。
豪州時代
ハンファ退団後、オーストラリアのシドニー・ブルーソックスと契約。
2017年シーズン後、現役引退を発表した。
引退後
2017年10月より古巣のロッテの投手コーチとなった。
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詳細情報
年度別投手成績
- 太字はリーグ最高
背番号
- 21(1998年)
- 19(1999年 - 2004年、2007年 - 2014年)
- 61(2015年)
- 43(2015年 - 2017年)
- 91(2018年 - 2021年)
- 75(2022年 - )
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脚注
外部リンク
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