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柳楽智和
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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柳楽 智和(なぎら ともかず、1985年10月17日 - )は、島根県出雲市出身[3] の元サッカー選手。現役時のポジションはディフェンダー(DF)。
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人物
センターバックとしては小柄の身長ながら、卓越したフィジカルの強さ[1] とファイターとも評される闘志みなぎるハードマークで[5] 相手エースを抑える。野球選手の和田毅投手は、実家が近所で幼馴染。
来歴
要約
視点
2001年に立正大淞南高校へ進学し、在学中の3年連続で全国高校サッカー選手権に出場[6]。2003年度の選手権では全国ベスト16の成績を残し、チームで唯一の優秀選手及び高校選抜に選出された[7]。
2004年にアビスパ福岡へ加入[6]。大熊清監督の下、U-19日本代表として出場した同年のアジアユースでは堅守で3位に入り、翌2005年開催のワールドユース出場権を勝ち取った。ワールドユースでは追加招集で急遽メンバー入りし[8]、福岡同期入団の中村北斗と共にレギュラーとして出場[1]。柳楽は主に増嶋竜也及び水本裕貴と3バックを組み、ストッパーに配された。オランダ戦ではFWライアン・バベルのマークを担い[9] 1得点を許したものの、個人の勝負ではバベルを抑え込んでいた[10]。決勝トーナメント第1戦のモロッコ戦では、後半アディショナルタイムに自身のマークするFWイアジュール (Mouhcine Iajour) から得点を奪われ敗戦[11]。ベスト16に終わったものの、柳楽の闘争心溢れるプレーぶりは高評価を得た[12]。
しかし、ワールドユース以後の福岡では、集中力を持続しきれずに[8] 精神的なムラが現れ[1]、プレーが荒くなってしまう課題から満足な出場機会を得られずにいた。2006年9月のJ1第23節横浜FM戦では、相手FW久保竜彦との交錯で[13] 小競り合いとなり、久保からビンタ・頭突きを見舞われた(久保は退場[14])。また、同年12月のJ1・J2入れ替え戦終了後には審判控室の扉を蹴り、審判団に侮辱的な発言をして出場停止処分を科された[15]。さらに2007年9月J2第38節鳥栖戦では、鍋島將起主審の判定に猛抗議し、副審の胸を小突いたことで4試合に及ぶ出場停止[16][17]。
2008年も当初はメンバー入りしていなかったが、同年のリーグ戦初出場となったJ2第8節鳥栖戦で対人の強さを発揮して無失点勝利に貢献[18]。以後の2試合も1失点で切り抜け[19]、先発に定着[20]。同年5月のJ2第15節C大阪戦で公式戦初得点を記録した[4]。シーズン途中加入のDF丹羽大輝に一時ポジションを譲るも[21]、終盤は丹羽とのコンビで起用された[22]。課題としていた落ち着きと安定感も身に付き[23]、2009年にはDF田中誠の加入によりポジション争いが激化する中、前年以上の試合出場を記録し、守備の中軸としての立ち位置を守り抜いた。しかし、2010年は田中がコンディションを戻し、丹羽と共にレギュラーに定着。柳楽は控えに追いやられ、同年限りで契約満了による退団となった[24]。
2011年、大熊が監督を務め、中村も在籍するFC東京へ移籍加入[25][26]。DF今野泰幸及び森重真人の前に公式戦出場は限られ[27]、今野不在時に主力組に入るのがやっとだったが[28][29]、地道に練習を重ね[27] 控え組を引っ張った[30]。
2012年、ガイナーレ鳥取から2年越しのオファーを受け[31]、完全移籍[32][33]。高校生時以来の生まれ育った山陰地方でのプレーとなった[2]。激しい守備と巧みなビルドアップは健在で[34]、2013年にはセンターバックだけでなくサイドバックでも奮戦[35]。最終ラインの核として[36]、チーム最多となる[37] リーグ戦40試合出場を記録した[38]。
クラブからの契約更新提示を固辞し[37]、2013年シーズン終了後に現役引退を表明[39]。引退後は福岡市内の民間企業に就職し、2015年9月15日に放送されたローカルテレビ番組にて営業社員として登場。
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所属クラブ
個人成績
- 2005年:J2初出場 - J2第24節 vs 8月 2日ベガルタ仙台 (仙台)[4]
- 2006年:J1初出場 - J1第22節 vs 9月 9日大分トリニータ (九石ド)
- 2008年:J2初得点 - J2第15節 vs 5月21日セレッソ大阪 (長居)[4]
- 2012年10月28日:J2 100試合出場 - J2第40節 vsロアッソ熊本 (とりスタ)
その他の公式戦
- 2013年
- J2・JFL入れ替え戦 2試合0得点
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代表歴
- 2003年 - U-18日本代表 : 仙台カップ国際ユースサッカー大会(離脱)
- 2004年 - U-19日本代表 : トゥーロン国際大会、SBSカップ 国際ユースサッカー(準優勝)、AFCユース選手権2004(3位)
- 2005年 - U-20日本代表 : カタール国際親善トーナメント(準優勝)、2005 FIFAワールドユース選手権(ベスト16)、アグリバンクカップ(離脱)
- 2006年 - U-21日本代表
脚注
関連項目
外部リンク
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