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柴田町立槻木小学校
宮城県柴田町にある小学校 ウィキペディアから
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柴田町立槻木小学校(しばたちょうりつ つきのきしょうがっこう)は宮城県柴田郡柴田町槻木駅西二丁目にある公立小学校である。学級数は19学級、在籍児童数は454人(2022年4月1日現在)[1]。
概要
柴田町の北部(旧槻木町)のうち、槻木中心部を主に学区としている。特色ある教育活動として、大河原教育管内(仙南地域)で唯一の吹奏楽部が存在する[1]。
2022年4月1日時点での学級数は19学級、在校児童数は454人であり、特別支援学級として「つくし」組が4学級存在する。現在の特別支援学級の前身となったのは1948年に始まった「特殊学級」での教育とされ、知的障害を持つ児童への教育としては宮城県で初めて設置されたものである[2]。
槻木小学校には「あぶくま児童会」と呼ばれる児童会が存在する。イメージキャラクターは「あぶくマン」[3]。
校舎
現在の槻木小学校の校舎は1976年に新築移転されたものであり、約29,000平方メートルの敷地に6700平方メートルの床面積を持つ。当時で最新鋭の学校建築計画論に基づき、低学年棟と中高学年棟を分離させ、体育館を中高学年棟と管理棟の間に設けるという珍しい形を取っている[4]。
校章・校木・校歌

校章

槻木という地名にちなみ、ツキノキの葉をデザインし、中心に槻木の「槻」の字を据え、「児童がツキノキのように伸びやかにたくましく健やかに育ってほしい」という願いが込められているとしている[1]。また、槻木小学校の正門から玄関に向かう通路には、校章にちなみ20本余のツキノキ並木が林立している[1]。
校木
校木として「メタセコイヤ」が1980年10月1日に制定されている。現在の校舎昇降口横に聳えるメタセコイヤは現在高さ21m、根回り2.5mであり、1977年2月1日に旧校地(現在の槻木保育所付近)から移植された[1]。
校歌
合唱曲「槻木の詩」
槻木小学校には1994年秋に在職していた教職員が作詞作曲を手掛けた「
鼓笛隊
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沿革
現在の校舎は1976年に完成したものであり、槻木駅西に移転する以前は現在の槻木保育所・槻木体育館付近(槻木下町二丁目6)に校舎を構えていた。
年表
創立から戦前・戦時中まで
戦後から現在まで

- 1947年(昭和22年)- 国民学校廃止に伴い、槻木町立槻木小学校に改称される。
- 1948年(昭和23年)- 宮城県で初めて知的障害を持つ児童への教育として「特殊学級」が設置される[2]。
- 1953年(昭和28年)- 富上分校が増築される。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 船岡町と槻木町が合併し柴田町が成立したことに伴い、柴田町立槻木小学校に改称。
- 1957年(昭和32年)- 槻木小学校舟迫分教場が船岡小学校舟迫分校となる。
- 1966年(昭和41年)2月 - 学校給食を開始[6]。
- 1976年(昭和51年)
- 槻木小学校富上分校が閉校し槻木小学校に統合される。
- 8月 - 新校舎が現在の場所に完成する。
- 1977年(昭和52年)2月1日 - 旧校地より現在地にメタセコイヤが移植される[1]。
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 校木として「メタセコイヤ」が制定される[1]。
- 1982年(昭和57年)10月 - 槻木経済クラブの20周年事業として20本ほどのツキノキが植樹される[1]。
- 1986年(昭和61年)- 槻木小学校教員がサッカーチーム「槻木FC」を発足させる[7]。
- 1994年(平成6年)- 合唱曲「槻木の詩」が完成する[5]。
- 2013年(平成25年)- 東日本大震災の影響で校庭の遊具群である「冒険ランド」が解体される[8]。
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学区
学区(通学区域)は以下の通りである[9]。
卒業後
アクセス
周辺
- 宮城県道52号亘理村田蔵王線
- 槻木駅
- マルトモ仙台第一工場・仙台第二工場
脚注
関連項目
外部リンク
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