トップQs
タイムライン
チャット
視点

永井怜

日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから

永井怜
Remove ads

永井 怜(ながい さとし、1984年9月27日 - )は、群馬県藤岡市出身の元プロ野球選手投手)。現役引退後は、楽天イーグルスアカデミーのジュニアコーチを務める傍ら、プロ野球解説者としても活動していた。

概要 東北楽天ゴールデンイーグルス 二軍投手コーチ #83, 基本情報 ...
Remove ads

経歴

要約
視点

プロ入り前

藤岡市立神流小学校3年生の頃から「神流リバーズ」で外野手として野球を始め、後に内野手投手を兼任。中学時代はずっと野手を兼任し、高校生から投手に専念することになる。東農大二高時代は2年生秋からベンチ入りした。最高成績は3年生春の県大会ベスト16だった。

東洋大学では、1年生秋からリーグ戦に登板した。2年生からはエースとして登板した。2005年春の東都大学リーグ戦、対中央大学戦では16奪三振を記録した。2006年は春に青山学院大学戦で2試合連続の完封勝利も記録し、夏の第35回日米大学野球大会第3回世界大学野球選手権大会のメンバーにそれぞれ選ばれた。東都リーグ通算50試合登板12勝12敗、防御率2.92の成績を残す。当初はプロ野球選手という進路は考えておらず、高校野球の指導者になることを志望していた。このため高校公民の教員免許取得を目指していたが、最終的に2単位足りず取得できなかった。なお卒業後も単位を取得すれば教員免許は得られるため、いずれは取得したいと本人は語っている。なお東洋大への入学はスポーツ推薦ではなく一般入試であり、そのためドラフト指名後も試験や教育実習、卒業論文の提出などに忙しく度々キャンプを離れていた。

2006年11月21日に行われた大学生・社会人ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受け入団した。背番号は30

楽天時代

Thumb
2010年6月20日 千葉マリンスタジアム

2007年の開幕一軍登録は果たせなかったものの、4月1日に初めて一軍登録され、同日の対オリックス・バファローズ戦(フルスタ宮城)で初登板を果たす(9回表から1イニングのリリーフ登板)。4月17日の対福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)で初先発し、8回2失点でプロ初勝利を挙げた。シーズン中盤まで先発ローテーションを守り続けたが、8月途中からリリーフに転向した。

2008年3月26日、開幕5戦目のオリックス戦(京セラドーム)で先発し、初の無四球完封勝利を果たした[1]。この試合がチームのシーズン初勝利試合となった。さらに4月23日のソフトバンク戦でも無四球完封勝利を挙げる[2]。その年のハワイ・ウィンターリーグ聖澤諒枡田慎太郎と共に参加し、リーグ最多勝利と最多奪三振、最多投球回を記録し、最優秀投手に選ばれた。

2009年6月20日の阪神タイガース戦3回戦、3回表にチームが打者一巡の猛攻を見せる中で2度打席が回り、リーグ16人目となる1イニング2三振を記録した。9月9日のオリックス戦の完投勝ちで10勝目となり、自身初のシーズン2桁勝利を達成した。このシーズンは13勝7敗という好成績を挙げチームの2位躍進に貢献した。

2010年1月11日に元モデルの木谷真美と結婚した[3]。シーズンに入ると前年よりも与四球や被安打が大幅に増え、投球回数は前年を上回ったものの、結局10勝10敗の成績でシーズンを終えた。

2011年5月20日、第1子となる長女が誕生した[4]。シーズン序盤から田中将大とともに先発ローテーションを支えていたが、7月3日の千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)で登板中に右肩を故障した。一旦戦列を離れ、再び先発として一軍に戻ったが再び右肩を故障し、そのままシーズンを終えた。規定投球回には到達しなかったが、チーム2位の2完封を記録した。

2012年は前年の怪我の影響で出遅れ、8月14日の北海道日本ハムファイターズ戦では復帰後初勝利を挙げる。その後は3試合登板して3連敗で二軍に降格し、そのままシーズンを終えた。

2013年は開幕を二軍で迎える。5月19日の東京ヤクルトスワローズ戦に先発し、8回無失点の好投で同年初勝利を挙げた。最終的には10試合で2勝4敗、防御率3.46の成績だった。

2014年はプロ入り初の一軍先発登板無し、一軍未勝利でシーズンを終える。

2015年もシーズンの大半を二軍で過ごした。10月4日に現役引退を発表した[5][6]ことを受けて、球団では10月6日のロッテ戦(楽天koboスタジアム宮城)を、永井の引退試合として開催した[7]。永井はこの試合で6回表に「打者1人」という条件で登板すると、東洋大学の後輩・清田育宏から三振を奪って現役生活を終えた。11月12日に、日本野球機構(NPB)から任意引退選手として公示された[8]

引退後

2015年12月19日付で、楽天球団が運営する「楽天イーグルスアカデミー」のジュニアコーチに就任した[9]

2016年2月、チームの久米島キャンプでオフィシャルリポーターを担当した[10]。公式戦開幕後は解説者としても活動を開始した(東北楽天ゴールデンイーグルスホーム、ビジターゲームのみ)。

2019年10月14日、2020年は楽天の育成コーチを務めることが発表された[11]。その後、2021年は育成投手コーチを[12]2022年からは二軍投手コーチを務めた[13]2023年も同様に二軍投手コーチを務めていたが、一軍の防御率がリーグワーストの3.55に低迷していることを受け、7月19日に小山伸一郎と入れ替えで、一軍投手コーチに配置転換された[14]2025年からは二軍投手コーチに再度配置転換された[15]

Remove ads

選手としての特徴

オーバースローから投げる。平均球速は約140km/h[16]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

記録

初記録
投手記録
打撃記録
その他の記録

背番号

  • 30(2007年 - 2015年)
  • 83(2020年 - )

登場曲

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads