トップQs
タイムライン
チャット
視点
清水宏員
ウィキペディアから
Remove ads
清水 宏員(しみず ひろかず、1933年4月14日 - )は、京都府京都市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
平安高校ではエースとして同期の上市明(大映スターズ)とバッテリーを組み、1951年春夏の甲子園に出場[1]。春の選抜では1回戦で宇都宮工の神田昌男(大洋ホエールズ)に完封を喫する[2]。同年の春季近畿大会は決勝で加古川東高を降し優勝。この大会の県予選決勝では南菊一(東急フライヤーズ)、南輝明(国鉄スワローズ)のいた京都商をノーヒットノーランに抑える。夏の選手権も順調に勝ち進み、準決勝で中西太を打の主軸とする高松一高に辛勝。決勝では熊谷高の服部茂次に投げ勝ち、12年ぶりの優勝を飾った[3]。
1952年に毎日オリオンズに入団[1]。1954年には先発陣の一角として7勝を記録するが、1956年以降は登板機会が減り、1957年限りで引退した[1]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 10(1952年 - 1957年)
Remove ads
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads