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田無市

日本の東京都にあった市 ウィキペディアから

田無市map
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田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。2001年1月21日保谷市と合併し、西東京市の一部となった。

概要 たなしし 田無市, 廃止日 ...

全国でも埼玉県蕨市鳩ヶ谷市(2011年に川口市に合併して同市に復帰)、東京都の狛江市についで4番目に小さい市でもあった。

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歴史

青梅街道所沢街道が交差する交通の要所であり、青梅街道の宿場町として江戸時代より栄えた。

宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京都心のベッドタウンとしての発展を続けた。

周辺の地区が明治以降、複数の村を統合して村を形成したのに対し、田無は江戸時代から商業的に発展しており、同じ地域をもって一つの村を形成した。全国の市で複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。明治20年代から幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市と合併を果たした。

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地名の由来

田無の地名は、1559年永禄2年)の後北条家の文書に確認されたものが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。

  1. 田んぼが無かったという説
  2. 棚瀬の読みが「たなし」に変化し、田無の字があてられた説
  3. 田成の表記が田無に変化した説
  4. 種なしが変化し田無になった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種籾)までとられてしまうため、周囲の村から「種なしの村」と呼ばれたという。

1の説に対しては、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無いこと、2と3の説では、途中で意味が正反対に変わっていること、4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、いずれも決め手に欠け、定説とはなっていない。

行政

歴代町長

  • 下田太郎右衛門 1889年5月21日〜1893年5月20日
  • 小山平左衛門 1893年6月12日〜1894年2月27日(死去)
  • 海老沢政吉 1894年5月10日〜1897年8月8日
  • 海老沢三郎兵衛 1897年10月23日〜1898年6月1日
  • 浦野議助 1898年6月9日〜1926年12月24日(死去)
  • 鴨志田五兵衛 1927年2月15日〜1935年2月15日
  • 下田正一 1935年3月9日〜1939年3月8日
  • 佐々時達 1939年3月13日〜1943年6月3日(死去)
  • 藤宮長寿郎 1943年7月30日〜1946年6月13日
  • 下田正一 1946年6月13日〜1946年11月15日 (再当選)
  • 小峰順誉 1947年4月15日〜1955年4月30日
  • 桜井竹次郎 1955年5月1日〜1958年3月25日
  • 賀陽賢司 1958年4月20日〜1962年4月19日
  • 指田吾一 1962年4月20日〜1966年12月31日

歴代市長

特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[2]

さらに見る 代, 氏名 ...

交通

道路

歴史の節にあるように青梅街道と所沢街道(東京都道・埼玉県道4号東京所沢線東京都道5号新宿青梅線)の分岐となる交通の要衝である。

また、新青梅街道と所沢街道が交差する北原交差点(新青梅街道は当交差点以東が東京都道245号杉並田無線、以西が東京都道5号新宿青梅線)、その東側でひばりヶ丘駅への谷戸新道(東京都道112号ひばりケ丘停車場線)、田無駅を通り武蔵境方向への武蔵境通り(東京都道12号調布田無線)が接続している。

青梅街道の橋場交差点からは北西へ東京街道(市道)、南西へ東京都道132号小川山田無線が分岐する。

鉄道

バス

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姉妹都市・提携都市

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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