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甲奴郡
日本の広島県(備後国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
歴史
要約
視点
和銅2年10月8日(709年11月13日)、芦田郡から甲努村を分離して成立。名前の由来については、川沿いに広がる土地を指す「河野」「河内野(カハフチ野)」が訛ったという説や、傾斜した土地を意味する「傾き野(かぶきの)」が変化したという説など諸説存在する。古くから鉄の産地として知られ、平安時代初期には鉄を朝廷に献上していた記録が残る。当初は「かふの」とも読まれた。
近世以降の沿革
- 慶応4年5月16日(1868年7月5日) - 幕府領が倉敷県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての甲奴郡が発足。「甲奴世羅三谿郡」役所が世羅郡甲山町に設置され、同郡・三谿郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。[ ]は合併した村。(29村)
- 明治28年(1895年)10月1日(19村)
- 明治30年(1897年)6月5日 - 上下村が町制施行して上下町となる。(1町18村)
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。「芦品神石甲奴郡役所」が芦品郡府中町に設置され、同郡・神石郡とともに管轄[要出典]。上下町に郡役所が置かれる[注釈 1]。
- 明治45年(1912年)1月1日 - 稲草村・下領家村・木屋村が合併して田総村が発足。(1町16村)
- 大正元年(1912年)10月1日 - 太郎丸村・知和村・安田村・抜湯村・有田村が合併して上川村が発足。(1町12村)
- 大正2年(1913年)2月1日 - 五箇村・黒目村・亀谷村・上領家村・中領家村が合併して領家村が発足。(1町8村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和29年(1954年)3月31日(1町4村)
- 上下町・矢野村・清岳村・吉野村・階見村の大部分が合併し、改めて上下町が発足。
- 階見村の一部が神石郡高蓋村に編入。
- 昭和30年(1955年)3月31日(3町)
- 昭和32年(1957年)6月10日 - 上下町が世羅郡甲山町の一部(松崎)を編入。
- 昭和33年(1958年)10月10日 - 甲奴町が世羅郡広定村と合併し、改めて甲奴町が発足。
- 平成16年(2004年)4月1日(1町)
- 平成17年(2005年)3月31日 - 総領町が庄原市・比婆郡西城町・東城町・口和町・高野町・比和町と合併し、改めて庄原市が発足。同日甲奴郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 甲奴・世羅・三谿郡長
- 芦品・神石・甲奴郡長[1]
脚注
参考文献
関連項目
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