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石川町 (横浜市)
横浜市中区の町 ウィキペディアから
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石川町(いしかわちょう)は、神奈川県横浜市中区の町名。現行行政地名は石川町1丁目から石川町5丁目(字丁目)。住居表示未実施区域[5]。
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地理
中村川に沿って1丁目~5丁目からなる。元町、山手町、打越、南区中村町、中村川を挟んで吉浜町、松影町、寿町、長者町と隣接する。
多くが住宅地で、中村川を隔てて隣接する吉浜町との間に根岸線石川町駅が設置され、元町口は石川町2丁目に当たる。首都高速道路の石川町ジャンクションおよび石川町入口の所在地は吉浜町であり、石川町内には当たらない。
地価
商業地の地価は、2025年(令和7年)1月1日の公示地価によれば、石川町2丁目61番1の地点で85万6000円/m²となっている[6]。
歴史
洲干湊(しゅうかんみなと)と呼ばれた入江の南岸に位置し、武蔵国久良岐郡石川村と称したが、石川村は1595年(文禄4年)に中村・堀之内村・横浜村に分村し、当地は中村のうちとなった。
洲干湊は1667年(寛文7年)に吉田新田、1884年(文化元年)に横浜新田、1856年(安政3年)に太田屋新田が開発され、1859年(安政6年)の横浜港開港後は更に埋め立てが進み、1874年(明治6年)には中村川を隔てた地区は全て陸地化した。同年に中村のうち町並みが整っている所が横浜町へ編入されて石川町が起立、翌1875年(明治7年)には同様に石川仲町も起立した。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。避難民が市内中心部の火災を避けるため石川町に殺到したが、大丸谷(現1丁目)の地形に阻まれて数十人が死亡。震災50周年目には地元の有志により地蔵尊が建立された。
1938年(昭和13年)6月30日、大丸谷で集中豪雨により がけ崩れが発生。ホテル・ニュー・ヨコハマなど5棟が倒壊して9人が死亡、重軽傷6人[7]。
沿革
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世帯数と人口
2025年(令和7年)6月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[16]。
事業所
2021年現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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施設
- 石川町駅前郵便局
その他
日本郵便
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[20]。
参考文献
- “横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2018年7月9日). 2024年3月24日閲覧。
関連項目
- 石川町 (曖昧さ回避)
- 元石川町 - 当地との区別のために横浜市編入時に「元」をつけた青葉区の地名
脚注
外部リンク
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