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芦北町立海路小学校
熊本県芦北町にある小学校 ウィキペディアから
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芦北町立海路小学校(あしきたちょうりつ かいじしょうがっこう)は、かつて熊本県葦北郡芦北町にあった公立の小学校。
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概要
- 歴史
- 1880年(明治13年)に分教場として創立。1905年(明治38年)に独立。児童数の減少により1994年(平成6年)に休校。28年後の2022年(令和4年)に閉校し、142年(独立117年)[1]の歴史に幕を下ろした。
- 校地・校舎
- 敷地は狭く、校舎(下部)と体育館(上部)が一体となった建物となっていた。2022年(令和4年)閉校と言っても、1994年(平成6年)に休校して28年たっているので、施設の老朽化が激しい。
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 校訓
- 「考える、やさしい、やり抜く海路っ子」
- 校歌
- 作詞・作曲ともに木村隆による。歌詞は2番まであり、両番の歌詞中に校名の「海路小」が登場する。
- 分校
- 上原分校(うわばる)
- 1880年(明治13年)創立、1991年(平成3年)休校、2022年(令和4年)閉校
- 通学区域
- 中学校区は以下の通りであった。
- 吉尾中学校(1947年(昭和22年)4月から1994年(平成6年)3月の休校まで)
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沿革
- 1880年(明治13年)-「公立大岩小学校 海路分教場」が創立。上原分教場も設置される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、葦北郡「吉尾村」が発足。
- 1891年(明治24年)-「尋常吉尾小学校 海路分教場」に改称。
- 1892年(明治25年)-「吉尾尋常小学校 海路分教場」に改称。
- 1906年(明治39年)4月 -「海路尋常小学校」として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「葦北郡吉尾村海路国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制小学校「吉尾村立海路小学校」に改組・改称。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 葦北郡1町(佐敷)2村(大野・吉尾)合併により「葦北町」が発足。「葦北町立海路小学校」と改称。
- 1970年(昭和45年)11月1日 -「芦北町立海路小学校」(最終名)と改称。
- 1991年(平成3年)3月 - 上原分校が休校となる。
- 1994年(平成6年)
- 2022年(令和4年)
- 3月31日 - 休校から28年がたち閉校となる。
- 4月1日 - 上原分校および芦北町立吉尾小学校とともに、芦北町立佐敷小学校に統合される。
- 最終所在地(海路小学校)- 熊本県葦北郡芦北町海路1583番地
(北緯32度20分59秒 東経130度37分04秒) - 最終所在地(上原分校)- 熊本県葦北郡芦北町大字上原258番地1
(北緯32度22分11.4秒 東経130度36分14.5秒)
- 最終所在地(海路小学校)- 熊本県葦北郡芦北町海路1583番地
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事件
閉校から3年後の2025年(令和7年)旧海路小学校から水道の蛇口や窓枠が盗まれる事件が発生し、町が被害届を出していたが、別件にてケーブル窃盗の疑いで8月に逮捕された男2人が、本件についても関与を認めた。[2]
交通アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 平谷川
- 球磨川
脚注
参考文献
関連項目
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