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茂木弘人
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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茂木 弘人(もぎ ひろと、1984年3月2日 - )は、福島県福島市出身の鍼灸師、元サッカー選手。
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来歴
元々はDFだったが高校1年の秋に当時聖光学院高の監督だった鋤柄昌宏に勧められFWに転向。
2002年にサンフレッチェ広島に入団。同期入団は、須田剛史、佐田聡太郎、西村英樹。
2005年シーズンは開幕から好調を維持し開幕戦にゴールをあげるなど前半で4得点を挙げたが、後半は出場機会がなく、2006年シーズンからは完全移籍でヴィッセル神戸に移籍した。
2007年シーズンは監督に直訴してサイドバックに転向、レギュラーポジションを獲得した。2008年、グアムキャンプ中にアキレス腱断裂の重傷を負い、ほぼ1シーズンを棒に振った。2009年、カイオ・ジュニオール監督(当時)に直訴し、フォワードに再転向。他のフォワードの不振もあり起用されると、4月26日のガンバ大阪戦でプロ初の1試合2得点をあげた。試合後、カイオ監督はインタビューで当初茂木を構想外としていたことを明かしたが、これを撤回した。二度の監督交代後も主軸を務め、チームに貢献した。
2010年は前年復帰したFW大久保嘉人や草津から加入したFW都倉賢などの加入に伴い、再び左サイドバックを任されることが多くなったが、カップ戦ではFWで起用されることもあった。チームはJ2降格の危機に瀕し、第33節引き分けでも降格の可能性のあった清水戦で後半38分に決勝ゴールを決める活躍を見せた。第34節では先制点をアシストしチームの残留に大きく貢献した。
2012年はキャンプでFW挑戦を和田昌裕監督に直訴し、再びFWとサイドバックの両方で起用されている。西野朗の監督就任後は左サイドハーフでも出場した。2014年12月9日、ヴィッセル神戸との契約満了を発表した。
2015年、J1・J2の複数のクラブからオファーを受けるが、「体が動く間に地元でプレーしたい」という思いから地元の福島ユナイテッドFCへ移籍[1][2]。また、サッカー選手と並行して同年より福島医療専門学校に通い[3]、2018年に鍼灸師の資格を取得した[4]。
2019年1月5日、現役を引退すると発表された[5]。同年1月よりかまた鍼灸整骨院(福島市)で鍼灸師として勤務し、併せて福島ファイヤーボンズへの支援として選手の鍼灸施術を行うと報じられた[4]。
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所属クラブ
- 松川SSS (福島市立松川小学校)
- 福島市立松陵中学校
- 1999年 - 2001年 聖光学院高等学校
- 2002年 - 2005年
サンフレッチェ広島F.C
- 2006年 - 2014年
ヴィッセル神戸
- 2015年 - 2018年
福島ユナイテッドFC
個人成績
- 強化指定選手としての公式戦出場は無し
- その他の公式戦
- 2006年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 出場歴
代表歴
- U-16、U-17日本代表(2000年-2001年)
- 2000年 AFC U-17選手権
- 2001年 FIFA U-17世界選手権
- U-18、U-19、U-20日本代表(2001年-2003年)
- 2002年 AFCユース選手権
- 2003年 FIFAワールドユース選手権
- U-21日本代表(2005年)
脚注
関連項目
外部リンク
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