トップQs
タイムライン
チャット
視点
菊池市立菊池北小学校
熊本県菊池市にある小学校 ウィキペディアから
Remove ads
菊池市立菊池北小学校(きくちしりつ きくちきたしょうがっこう)は、熊本県菊池市隈府にある公立の小学校。 通称は「北小(きたしょう)」。
概要
- 歴史
- 1993年(平成5年)に菊池市立隈府小学校から分離する形で開校。同時に菊池市立豊間小学校を統合した。2023年(令和5年)に創立30年を迎えた。
- 校訓
- 「時を守り 場を清め 礼を糺す」
- 校章
- 中央に「北」の文字を図案化したものを配している。
- 校歌
- 作詞は堀川喜八郎、作曲は上田實による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「菊池北小学校」が登場する[1]。
- 通学区域
- 菊池市のうち「高野瀬・遊蛇口・西迫間・七坪・市野瀬・中野瀬・太田・東迫間・戸豊水・大柿・菊池平野・菊池佐野・鍋倉・原細永・日生野・伊牟田・下組・塚原・長六・岩平・戸城・永山・伊野・杉生・木護・柏・鉾の甲・茂藤里・篠倉・伊倉・道園・金峰・生味・古川・立門・木佐木・滝黒仁田・寺小野・龍門1・染土・長野・雪野・小木・鳳来・穴川」。中学校区は菊池市立菊池北中学校[2]。
沿革
- 旧・豊間小学校(とよま)
- 1874年(明治7年)- 戸豊永に開校。
- 1876年(明治9年)- 東迫間に「公立豊間小学校」が設置される。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上「尋常豊間小学校」と改称。重味校を統合の上、支校(分校)とする。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、菊池郡「迫間村」が発足。
- 1890年(明治23年)10月 - 重味支校が分離の上、「尋常重味小学校」として独立。
- 1892年(明治25年)4月 -「豊間尋常小学校」と改称。
- 1928年(昭和3年)7月 - 最終所在地に移転を完了。高等科(2年制)を併置の上「豊間尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「菊池郡迫間村豊間国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 迫間村と竜門村が学校組合を改称し、「迫間村立迫間中学校」が発足。
- 1956年(昭和31年)
- 7月 - 校歌を制定。
- 9月1日 - 菊地町の発足により「菊池町立豊間小学校」と改称。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 菊池市の発足により「菊池市立豊間小学校」(最終名)と改称。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 菊池市立迫間中学校が菊池市立菊池北中学校に統合される。
- 1974年(昭和49年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 菊池市立菊池北小学校への統合により閉校。
- 最終所在地(豊間小学校) - 熊本県菊池市豊間1170番地(北緯33度00分03.0秒 東経130度49分22.6秒)
- 校章 - 柏の葉、ペン先、菊紋を組み合わせて背景とし、中央に校名の頭文字である「豊」の文字を配している。
- 校歌 - 1956年(昭和31年)7月制定。作詞は葛原芳雄、補作は荒木精之、作曲は滝本泰三による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「豊間校」が登場する。
- 正門
- 閉校記念碑
- 跡地
- 統合・菊池北小学校
Remove ads
交通アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 九州産交バス「桜ヶ丘住宅前」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 菊池さくら保育園
- 菊池市立菊池北中学校
- 熊本県立菊池高等学校
- 菊池女子高等学校
- 菊池温泉
- 菊池公園
- 迫間川
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads
