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角田誠
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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角田 誠(かくだ まこと、1983年7月10日 - )は、京都府宇治市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。
指導者ライセンスはJFA Aジェネラルを所持している[2]。
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来歴
7歳でサッカーを始める[3]。宇治市内のクラブチームから京都パープルサンガジュニアのユースに入団し、そのままユースチームまで進んだ。京都ユース時代の2001年、当時のJ2最年少出場記録(17歳10ヵ月13日)でデビューした[4]。アテネオリンピック代表にも呼ばれていたが、最終メンバーからは落選。
2002年、チームはシーズン最高のリーグ5位となり、同年度の天皇杯初優勝に貢献した。
2004年に京都から名古屋グランパスエイトへ移籍。
2006年、J2降格の危機に陥っていた古巣・京都からのオファーを受け、シーズン途中に期限付き移籍で復帰。期限付き移籍満了に伴って翌2007年に名古屋一度は復帰したものの、開幕直前の2月28日に再度のオファーを受け、京都に完全移籍した。
2011年、京都の再度のJ2降格を機に、ベガルタ仙台へ完全移籍[5]。角田は後に、仙台側が「ボランチとして獲得したい」というオファーを出してきた事を後にインタビューで明かしている[6]。仙台入団後はオファーに沿ってボランチとしてプレーし年間順位4位の成績を経験、Jリーグ優秀選手に2011年、2012年の2度選出された[7][8]。2013年は共同主将の1人に起用され[9]、2014年は単独で主将を務めた。
2014年12月19日、川崎フロンターレへ完全移籍することが発表された[10]。 移籍金を払っての獲得であり、DFリーダーとして期待され開幕戦から出場を続けていたが、14節の大敗以降出場機会を失う。
2015年8月1日に清水エスパルスへ期限付き移籍することが発表され[11]、シーズン終了後に完全移籍。
2017年3月18日の鹿島アントラーズ戦では鈴木優磨に対し挑発行為を行い[12]、その後清水は角田に対しリーグ戦1試合出場自粛および罰金処分を科した[13]。
2018年シーズンは、リーグ戦出場が5試合・ルヴァンカップ出場が5試合にとどまった。12月10日、清水との契約満了が発表された[14]。
2018年12月19日、V・ファーレン長崎に加入することが発表された[15]。2020年12月21日、契約満了による退団が発表された[16]。
2021年2月2日、ポルベニル飛鳥へ選手兼任コーチとして加入した[17]。
2021年12月14日、退団及び現役引退を発表[18]。
2022年1月5日、ベガルタ仙台のアシスタントコーチ就任が発表された[19]。
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所属クラブ
- -1995 宇治巨椋ボンバーズ (宇治市立西小倉小学校)
- 1996-1998 京都パープルサンガジュニアユース (宇治市立西小倉中学校)
- 1999年 - 2001年 京都パープルサンガユース (京都翔英高等学校)
- 2002年 - 2003年 京都パープルサンガ
- 2004年 - 2007年2月
名古屋グランパスエイト
- 2006年5月 - 2007年1月
京都パープルサンガ(期限付き移籍)
- 2006年5月 - 2007年1月
- 2007年3月 - 2010年
京都サンガF.C.
- 2011年 - 2014年
ベガルタ仙台
- 2015年
川崎フロンターレ
- 2015年8月 - 同年12月
清水エスパルス(期限付き移籍)
- 2015年8月 - 同年12月
- 2016年 - 2018年
清水エスパルス
- 2019年 - 2020年
V・ファーレン長崎
- 2021年
ポルベニル飛鳥
個人成績
- 2000年、2001年は二種登録
その他の公式戦
- 2003年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2007年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
代表歴
- 2002年 U-19日本代表
- 2003年 U-20日本代表
- 2003年 U-22日本代表
- 2004年 U-23日本代表
受賞歴
- Jリーグアウォーズ
- 優秀選手賞 (2011年、2012年)
指導歴
監督成績
脚注
関連項目
外部リンク
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