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長峰昌司
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長峰 昌司(ながみね しょうじ、1984年8月8日 - )は、茨城県鹿島郡鉾田町(現・鉾田市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
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茨城県鉾田市出身。 茨城県立水戸商業高等学校では、1年夏からベンチ入り。2年春に第73回選抜高等学校野球大会に出場、先発した3回戦で敗退する。3年夏は県大会準優勝[1]。2002年のドラフトで中日ドラゴンズから5巡目指名され入団。
中日時代
ルーキーイヤーの2003年は一軍登板なしに終わる。2004年シーズンに一軍に抜擢。7月17日の対阪神タイガース戦で初登板。金本、桧山、アリアスの主軸3人を全員三振に斬る完璧な投球を見せた。8月29日の対横浜ベイスターズ戦では5回1失点に抑え、先発初勝利を挙げる。
しかし、2005年は再び一軍登板無し。二軍でも防御率4点台に終わり、ウエスタン・リーグでも6敗を喫した。2006年も一軍では2試合の登板にとどまったが、二軍では防御率2.60と復調し、同年オフには高橋聡文と共にドミニカ共和国のウィンターリーグに参加。先発要員として活躍し、所属球団の監督に「長峰は十分メジャーリーグで通用する」と評された。なお、長峰はこの年から、4年連続でシーズンオフにウィンターリーグへ派遣されている。
2007年はオープン戦で上々の成績を残し、先発要員としてプロ入り5年目にして初の開幕一軍を果たす。しかし、公式戦に入ると結果を出せず、先発3戦目の4月18日の対阪神戦で2/3回を自責点6でKOされたため、あえなく二軍落ちとなる。その後はウエスタン・リーグで5連勝し防御率2.95を記録したものの、上腕三頭筋の故障もあり一軍復帰は果たせなかった。
2008年は中継ぎに回るとワンポイントに、先発経験を生かしたロングリリーフに活躍し、33試合に登板。しかし、防御率5点台、被安打63など課題を残した。
2009年は二軍で先発・中継ぎを任され、7勝1敗、防御率2.61の成績で、蕭一傑、山井大介に並びウエスタン・リーグ最多勝のタイトルを獲得した。
2011年11月11日に戦力外通告を受け[2]、12月19日にオリックス・バファローズが獲得を発表した。
オリックス時代
引退後
2013年からは高校時代の先輩である大久保博元が主宰する「デーブ・ベースボール・アカデミー」講師に就任[4]。水戸校塾長となり、小・中学生の指導をしている[5]。2016年から水戸市内の就労支援施設で勤務する傍ら[6]、2018年7月31日に来年度よりベースボール・チャレンジ・リーグのリーグ戦に参加する茨城アストロプラネッツのゼネラルマネージャーに就任することが発表された[7]。2019年4月23日、同球団のヘッドコーチを兼任することが発表された[8]。同球団のユースチームである「水戸ボーイズ」の代表も務めている。2020年10月28日にGM兼ヘッドコーチ退任が発表された[9]。
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選手としての特徴・人物
先発・中継ぎをこなす長身左腕[11]。変化球はスライダーなどを駆使する[12]。
中学時代の1学年先輩にタレントの磯山さやかがおり、プロ入り後も時々メールでやり取りする関係[14]。
引退後の2018年2月に交際相手の女性と結婚した[6]。
詳細情報
要約
視点
年度別投手成績
記録
投手記録
- 初登板:2004年7月17日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、4回裏に金本知憲から
- 初先発:2004年7月20日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)、5回5失点
- 初勝利:2004年7月28日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、10回裏に6番手で救援登板、1回無失点
- 初先発勝利:2004年8月29日、対横浜ベイスターズ25回戦(ナゴヤドーム)、5回1失点
- 初ホールド:2008年7月9日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、4回裏2死に2番手で救援登板、2回1/3を無失点
打撃記録
ウィンターリーグでの投手成績
背番号
- 68(2003年 - 2011年)
- 69(2012年)
- 88(2019年 - 2020年)
脚注
関連項目
外部リンク
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