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長崎地方気象台
日本の長崎県長崎市にある地方気象台 ウィキペディアから
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長崎地方気象台(ながさきちほうきしょうだい, Nagasaki Local Meterological Observatory)は、長崎県長崎市にある地方気象台であり、2013年9月30日までは長崎海洋気象台(ながさきかいようきしょうだい)であった。1878年に九州最初の測候所「長崎測候所」として創設。
所在地
- 〒850-0931 長崎市南山手町11-51(北緯32度44分1秒 東経129度52分5.2秒)
概要
1878年に全国で4番目、九州で最初の「長崎測候所」として創設。1947年4月30日に長崎海洋気象台へ改称。
沿革
- 1877年(明治10年)1月 - 内務卿大久保利通の建議により、当時電信線の開通している長崎・兵庫・仙台・青森・新潟の5カ所に内務省直轄の気象測量場を設立することが決定。
- 1878年(明治11年)7月1日 - 国費をもって、彼杵郡下長崎村十善寺郷361番地[1](海抜57.6m)に長崎測候所を設置。
- 1887年(明治20年)4月1日 - 長崎測候所が国から長崎県へ移管。
- 1894年(明治27年)5月1日 - 長崎郵便電信局(現長崎中央郵便局)との間に電信線を架設し、東京天文台から正午の時報を得る。
- 1895年(明治28年)7月10日 - 長崎測候所校内に信号旗さおを設け、毎日信号旗を掲げて正午を長崎市役所に伝える[3]。
- その当時の長崎市では時鐘・時旗で正午を市民に報じていたが、相当の機器がないため、時刻が正確ではなかった。このため長崎市が長崎測候所に依頼して始まった[3]。
- 1898年(明治30年)8月1日 - 長崎測候所が新庁舎へ移転。
- 当時、測候所は現在の海星中学校・高等学校の付近にあった。当時の海星学校が3月から新校舎を建設し始めたため、観測上支障があることから、ドンの山の頂上に移転した。
- 1903年(明治36年)10月5日 - 長崎市の要請で構内に午砲台を設置し、大砲を撃って正午を報じる[3]。
- 1939年(昭和14年)11月1日 - 県営長崎測候所が58年ぶりに再び国営となる。所員が10名から25名に増加。
- 1941年(昭和16年)12月31日 - 午砲台を廃止。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 長崎測候所が廃止され、業務が長崎海洋気象台に引き継がれる。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 長崎海洋気象台創立75周年記念式典を挙行。長崎海洋気象台の歌が発表される。
- 1954年(昭和29年)2月11日 - 脇岬村立脇岬中学校[4] 運動場で人工降雨実験を実施。
- 1978年(昭和53年)7月1日 - 長崎海洋気象台創立100周年記念式典を挙行。記念誌「百年の歩み」を発行。
- 2009年(平成21年)10月1日 - 長崎県内にある測候所の無人化を完了。
- 2010年(平成22年) - 気象観測船「長風丸」の運用を終了。
- 2013年(平成25年)10月 - 組織改編により長崎地方気象台(現在名)となり福岡管区気象台の管轄入りした[5][6][7][8]。尚、改編後も観測業務等は従前通りに行うものとしている[8]。
天気予報区分
- 長崎県北部
- 長崎県南部
- 長崎県五島
- 長崎県壱岐・対馬
主な担当海域
これら海域における海上警報は、NHK福岡放送局と管内の放送局で放送されるローカル気象情報で伝えられている。但し、全地区の警報はブロックの気象情報のみで伝えられ、あとは地元関係分のみ。なお、瀬戸内海については神戸地方気象台の管轄であるが、北九州局と大分局では瀬戸内海西部と豊後水道の分が上の分と併せて伝えられている。
脚注
アクセス
周辺
外部リンク
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