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長田昌浩
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長田 昌浩(ながた まさひろ、1984年6月10日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
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経歴
中学時代は陸上競技部へ入部し、市原シニアに所属。高校は東海大望洋高に進学し、1年春からレギュラーとして活躍、2年夏の千葉大会準優勝。
高校時代から好守、俊足、巧打のショートとして注目され、西岡剛等と共に「ポスト松井稼頭央」として注目された。高3夏の千葉大会では日米11球団19人のスカウトが彼のプレーを見ている。
2002年度ドラフト会議にて「巨人以外の指名なら東海大進学」を表明し、読売ジャイアンツから4巡目指名を受け、入団。「篠塚2世」として期待された。
ルーキーイヤーの2003年高卒新人選手では松井秀喜以来の一軍キャンプスタートとなり、多大な期待を受けた。5月4日の対広島戦で、巨人では松井秀喜以来となる高卒新人野手の初先発・初出場。2005年のフレッシュオールスターゲーム出場。
2006年11月7日に谷佳知との交換トレードで鴨志田貴司と共にオリックス・バファローズへ移籍[1]。
2007年は二軍では主に2番を打ち、打撃コーチの大島公一の指導のもと一時は打率.340をマーク、選手の入れ替えの少ない中で一軍昇格も果たしたが、安打が出ないまま二軍へ降格。2008年は一軍昇格を果たすも、出場機会がないまま二軍へ降格。それ以降一軍昇格は果たせず、2010年8月26日に球団に退団を申し入れ[2]、8月31日付で任意引退選手公示された[3]。
2014年3月4日付で学生野球資格回復[4]。
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人物
19歳の時に日本のキャンプに参加していたキューバ人選手が、粗悪な野球道具を使っていることにカルチャーショックを受けた。第2回WBCでキューバ戦を見た事がきっかけで、チームメイトから野球道具の寄付を募り、集まったバット40本、グローブ30個以上、アンダーウエアー多数、ボール120個を駐日キューバ大使館へ寄付した。タレントのSHEILAは「とても静かで紳士的で優しそうな方」と人柄を評した[5]。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
背番号
- 32 (2003年 - 2006年)
- 58 (2007年 - 2010年)
脚注
関連項目
外部リンク
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