トップQs
タイムライン
チャット
視点

長田昌浩

ウィキペディアから

長田昌浩
Remove ads

長田 昌浩(ながた まさひろ、1984年6月10日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
Remove ads

経歴

中学時代は陸上競技部へ入部し、市原シニアに所属。高校は東海大望洋高に進学し、1年春からレギュラーとして活躍、2年夏の千葉大会準優勝。

高校時代から好守、俊足、巧打のショートとして注目され、西岡剛等と共に「ポスト松井稼頭央」として注目された。高3夏の千葉大会では日米11球団19人のスカウトが彼のプレーを見ている。

2002年度ドラフト会議にて「巨人以外の指名なら東海大進学」を表明し、読売ジャイアンツから4巡目指名を受け、入団。「篠塚2世」として期待された。

ルーキーイヤーの2003年高卒新人選手では松井秀喜以来の一軍キャンプスタートとなり、多大な期待を受けた。5月4日の対広島戦で、巨人では松井秀喜以来となる高卒新人野手の初先発・初出場。2005年フレッシュオールスターゲーム出場。

2006年11月7日谷佳知との交換トレードで鴨志田貴司と共にオリックス・バファローズへ移籍[1]

2007年は二軍では主に2番を打ち、打撃コーチの大島公一の指導のもと一時は打率.340をマーク、選手の入れ替えの少ない中で一軍昇格も果たしたが、安打が出ないまま二軍へ降格。2008年は一軍昇格を果たすも、出場機会がないまま二軍へ降格。それ以降一軍昇格は果たせず、2010年8月26日に球団に退団を申し入れ[2]8月31日付で任意引退選手公示された[3]

2014年3月4日付で学生野球資格回復[4]

Remove ads

人物

19歳の時に日本のキャンプに参加していたキューバ人選手が、粗悪な野球道具を使っていることにカルチャーショックを受けた。第2回WBCでキューバ戦を見た事がきっかけで、チームメイトから野球道具の寄付を募り、集まったバット40本、グローブ30個以上、アンダーウエアー多数、ボール120個を駐日キューバ大使館へ寄付した。タレントのSHEILAは「とても静かで紳士的で優しそうな方」と人柄を評した[5]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 32 (2003年 - 2006年)
  • 58 (2007年 - 2010年)

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads