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阿部成宏
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阿部 成宏(あべ なりひろ、1947年3月27日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。1970年までの登録名は阿部 成行(あべ なりゆき)。兄は元プロ野球選手の阿部雄厚[1]。
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来歴・人物
岩手・花巻商高(現・花巻東高)では1964年にエース、四番打者として夏の甲子園に出場[2]。1回戦で鹿児島玉龍高を完封するが、2回戦では、この大会に優勝した高知高の光内数喜投手(芝工大-鐘淵化学)に抑えられ敗退。
1965年に大洋入団。
1969年には一軍で2試合に登板するが結果を残せなかった。
1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、12月に巨人に移籍。
1971年に外野手に転向する。強肩俊足でありプロ入り当初から打撃には定評があった。同年のイースタン・リーグで首位打者(打率.403[3])を獲得。
1972年12月、またもや第3回選抜会議(トレード会議)の対象となり近鉄に移籍。1973年にはウエスタン・リーグでも首位打者となる[2][3]。
1974年に一軍に定着し100試合に出場。
1975年は一番打者、中堅手の定位置を獲得し、規定打席(打率.261、22位)にも到達する[2]。
1977年には打撃が低迷し平野光泰にポジションを譲る。その後も準レギュラーとして長くプレーを続けた。
1979年の広島との日本シリーズでは6試合に出場。第4戦では一番打者、中堅手として先発するが無安打に終わる。
1980年の広島との2度目の日本シリーズでも代打、守備固めとして5試合に出場した。
1981年限りで現役引退。
視力が弱く眼鏡がトレードマークだった。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 29(1965年 - 1967年)
- 68(1968年 - 1970年)
- 47(1971年 - 1972年)
- 38(1973年 - 1981年)
登録名
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脚注
関連項目
外部リンク
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