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馬込町 (東京府)
日本の東京府荏原郡にあった町 ウィキペディアから
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馬込町(まごめまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都大田区の北部に位置する。
沿革
地域
各項目内の箇条書きは、小字の一覧である。ふりがなは『馬込村誌』による。
東京市編入時に大森区馬込町東になった地域
東部逓信局編『東京府荏原郡馬込村』(1917)[7]によると、大字馬込となっている。一方、東京市役所編『大東京新区町名地番表』(1932)[8]によると、大字が設定されていない。
東京市編入時に大森区馬込町西になった地域
『東京府荏原郡馬込村』によると、平塚のみ大字池上、その他が大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字が設定されていない。
現在の町名:西馬込1・2丁目、南馬込4 - 6丁目、北馬込1・2丁目、中馬込1 - 3丁目、上池台4丁目[10]
- 上䑓
- 根古屋
- 中田
将監谷 ()道々女木 ()- 埋田
- 塚越
- 中丸
大谷 ()- 大久保
二本木 ()- 宮下 - 長遠寺付近。
- 和田
入原 ()- 貝塚
- 寺郷
- 浅間丸
- 山野
- 平塚
東京市編入時に大森区北千束町・南千束町になった地域
『東京府荏原郡馬込村』によると、大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字北千束と大字南千束に分かれており、小字は設定されていない。
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行政
村長
町長
- 野村嘉七 - 1928年1月1日就任[13]
人口
江戸時代 - 明治初期
宗門人別帳に基づく人口推移は以下の通りであった。なお、町村制施行時に池上村から馬込村に編入した地区は含まない。1834年から1840年の人口減少について、『大田区史 中巻』459頁では、1836年の大凶作飢饉の影響だと推測している。
明治 - 昭和
関東大震災で被害が大きかった地域からの移住や、鉄道の発達により、人口が急増した[15][16]。
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産業
馬込村であった当時は農業が盛んであった。とくにキュウリ生産が盛んで[20]、明治時代には馬込半白胡瓜という品種が作出され[21]地域の特産品になっていた。
施設
学校
交通
鉄道
バス
道路
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脚注
参考文献
関連項目
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