トップQs
タイムライン
チャット
視点
髙橋萌木子
日本の短距離走選手 ウィキペディアから
Remove ads
髙橋 萌木子(たかはし ももこ、1988年11月16日 - )は、日本の元陸上競技選手で、専門は短距離。
![]() | この記事には複数の問題があります。 |
Remove ads
経歴
要約
視点
埼玉県三郷市出身。三郷市立早稲田中学校在籍時はソフトボール部に所属しつつ陸上競技をやっていた[1]。全日本中学校選手権は200mで優勝。当時はまだ陸上競技に本腰を入れておらず、「ソフトボール選手が全日本中学選手権だけ出てきて勝ってしまった」と噂になるほど[誰によって?]の出来事だった[2][リンク切れ]。
ストライド型の走りが特徴で、男子選手並みのストライドで走る。また、後半で一気にスピードを増すというレース展開が多く、いわゆる「後半追い込み型」の選手である。一方でスタートに課題を残しており、色々とスタートの仕方を試すも改善できず、2008年の冬からはジャマイカ式のスタートを取り入れるなど試行錯誤した[3]。
2004年に早稲田中を卒業し、埼玉栄高等学校へ入学[1]。高校からはソフトボール選手との兼任をやめて陸上に専念し、高校3年間でインターハイの100mでは史上初となる三連覇を成し遂げた[1]。また、2006年のインターハイでは他に200mでも優勝こそ同学年のライバル中村宝子に譲ったものの、記録は23秒71で、当時の高校記録およびジュニア日本記録を更新する走りを見せた。さらにリレーでも2種目に出場し、この大会だけで対校得点29点分に貢献した。2006年9月の南部記念では11秒54を記録し、100mでも高校記録を更新。こちらは正真正銘の高校記録保持者となった。同級生の永田俊樹も陸上部所属しており、同級生は他にも木村文和、益田詩歩、セルヒオ・アリエル・エスクデロ、梶原慧、常幸龍貴之、上田拓馬などがいる。
2007年、埼玉栄高を卒業後、系列校の平成国際大学に進学[1]。日本選手権100mで初優勝し、大学1年生ながら世界選手権の代表として100mと4×100mリレーに出場。2008年、国体では成年女子200mで23秒48の自己ベストを出して優勝。その年日本人に負けなしだった同学年のライバル福島千里に唯一の黒星を付けることとなった。2009年のグランプリシリーズでは織田幹雄記念の100mで予選・決勝ともに11秒24をマーク。0秒01差で福島千里に次いで2位となる。さらに追い風参考記録(予選+3.1m/s・決勝+2.2m/s)ながら自己ベストだけでなく当時の日本記録(11秒36)をも大きく上回った。4日後に行われた静岡国際の200mでは福島とともに日本新記録をマークした(ただし福島が0秒01差で先着したため記録保持者とはならなかった)。6月の日本選手権200mは23秒00の日本新記録をマークした福島千里に次ぐ2位に終わったが、福島千里が決勝を欠場した100mは11秒34で制して2度目の優勝を果たした。7月のユニバーシアードでは100mで銀メダルを獲得し、ユニバーシアードの個人短距離種目(ハードル種目を除く)において日本女子初のメダリストとなった[注 1]。また、これは全てのカテゴリーの世界大会を通じ[注 2]、日本女子個人短距離種目(ハードル種目を除く)初のメダリストでもあった。大学の最終学年となった2010年、連覇がかかった日本選手権の100mは福島千里に敗れ2位に終わったが、200mでは福島千里に0秒01差で競り勝ち初優勝を飾った。日本選手権以降は走りが崩れるなど不調に陥ったが[4]、日本学生選手権の100と200mの両種目を大会記録で制するなど復調の兆しを見せた。
2011年、平成国際大学を卒業後、富士通に入社[5]。社会人1年目は日本選手権の100mと200mで4位と5位、アジア選手権の100mは予選で敗退するなど不調に苦しみ、個人種目での世界選手権出場はならなかった。それでも全日本実業団の100mと200mで2冠を達成するなど存在感を見せつけたが、これが2017年現在で最後の全国タイトル獲得になっている。社会人2年目の2012年は日本選手権の100mと200mで3位に入り、ロンドンオリンピックの4×100mリレー代表に選出された。しかし、オリンピック前のフランクフルト合宿中に行われた100mのタイムトライアルで最下位になり(福島千里以外の4人で行われ、市川華菜、土井杏南、佐野夢加、高橋の順に終わった)、この結果オリンピックではリレーメンバーから外された[6]。2013年は3月の沖縄合宿中に体調を崩して10日間の入院をし[7]、6月の日本選手権は100mに出場したが予選で敗退した。その後は自然に歩くのが難しいけがに見舞われた時期もあったが、2014年の東日本実業団で復帰した[8]。2015年9月をもって富士通を退職[9]。
その後は鳥取県のトレーニング研究施設「ワールドウィング」所属として現役を続け、2020年には7年ぶりとなる日本選手権女子100m出場権を得ていたが、それを前にして9月5日に行われた鳥取県内の記録会で12秒43を記録したのを最後に引退した[10]。
2021年1月、地元三郷に帰郷し、現在はスポーツメンタルトレーナーの資格習得を目指している[10]。
Remove ads
主な成績
100m
200m
リレー
Remove ads
自己ベスト
- 100m 11秒32 2009年6月7日(日本歴代2位)
- 200m 23秒15 2009年5月3日(日本歴代2位)
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads