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土井杏南

日本の短距離走者 ウィキペディアから

土井杏南
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土井 杏南(どい あんな、1995年8月24日 - )は、日本陸上競技選手。専門は短距離走100Mの日本高校記録保持者、元日本中学記録保持者。

概要 土井 杏南, 選手情報 ...
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来歴

要約
視点

1995年8月24日東京都生まれ[2]、陸上競技は小学校5年生から始めた[3]。小学1年時には運動会で2位に20mの差をつけてゴールした[4]。きっかけは4年生の時に全国小学生陸上競技交流大会をテレビで目にし、出場したいと考えたことだったという[5]。小学校6年時に長居陸上競技場で開催された第23回全国小学生陸上競技交流大会に出場し、6年生女子100m走で13秒08のタイムで2位に入っている[6]。しかし、1位との差が0秒02だったことでさらに陸上競技に力を入れることになる[5]

2009年

埼玉県朝霞市立朝霞第一中学校2年時に出場した第36回全日本中学校陸上競技選手権大会の女子100mで11秒89のタイムを出して優勝、400mリレー(4×100mリレー)でも朝霞第一中学校チームのアンカーを務め、47秒30の中学新記録で優勝した。

2010年

第37回全日本中学校陸上競技選手権大会で、女子100mで11秒61の中学新記録(当時)を出して前年に続いて連覇、400mリレーでも朝霞第一中学校チームのアンカーを務めて48秒38のタイムでこちらも連覇を果たした。なおこの時樹立した女子100mの中学記録は14年後の2024年まで破られなかった[7]。この大会で右足親指の付け根を疲労骨折した[8][9]

2011年

春に陸上の名門である埼玉栄高等学校に進学。1年時には第64回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会女子100mで11秒88、日本ジュニア・ユース陸上競技選手権大会女子ユース100mで11秒93、第66回国民体育大会(山口国体)陸上競技少年女子B100mでは11秒68で優勝する[10] など、高校三冠を達成。また第95回日本陸上競技選手権大会熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)で初めてシニア大会に出場、女子100m決勝に進出して福島千里髙橋萌木子北風沙織らと同走して11秒82で4位に入っている[11]

2012年

2月4日に大阪城ホールで開催された日本・中華台北交流ジュニア室内兼日本ジュニア室内陸上競技大阪大会女子60mの予選で7秒40のタイムをマークし、北田敏恵伊藤佳奈恵が持つ室内日本記録タイ(当時)を樹立し[12]、決勝でも7秒47のタイムで優勝した[13]

高校2年に進級後、初の大会となった4月29日の織田幹雄記念国際陸上競技大会広島広域公園陸上競技場)グランプリ種目の女子100mに出場、予選で11秒53、A決勝で11秒50をマーク、高校の先輩でもある高橋萌木子が保持していた高校日本記録を続けて更新[14] すると、5月6日のゴールデングランプリ川崎川崎市等々力陸上競技場)ではシニア国際大会初出場、女子100mではアリソン・フェリックスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)、福島千里と同走し、11秒67で6位に入った[15]

5月13日には埼玉県高校総合体育大会陸上競技大会(熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)女子100m準決勝で自らの記録を更新する11秒43の高校日本記録を更新した[16]

6月9日、ロンドンオリンピック日本代表選考会となった第96回日本陸上競技選手権大会長居陸上競技場)女子100mでは予選で11秒47のタイムで全体1位となって決勝進出、決勝で好スタートから70mまで首位を走り、ゴール前で福島千里に抜かれ優勝は逃したが11秒51で2位となった[17]。同7月3日、女子4×100mリレー日本代表のロンドンオリンピック出場が決定したことを受け、日本陸上競技連盟により代表の一員に選出された[18]

8月9日、ロンドンオリンピックにて女子4×100mリレー予選第1組に第1走者として出場し、日本陸上界で戦後最年少オリンピック出場選手となった[5][19]。レースでは、土井と第2走者の市川華菜の間の詰まりを含め複数のバトンミスが起こり、44秒25の8位となり、予選通過を果たすことは出来なかった[20][21][22]

2013年

高校3年時では腰痛を発症した影響[23] でシーズンを通して調子が上がらない状態が続いたが、それでも第66回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会大分スポーツ公園総合競技場(大分銀行ドーム))女子100m決勝では11秒70のタイムで優勝するなど五輪選手の貫禄を示した[24]第68回国民体育大会(スポーツ祭東京2013、東京国体)では埼玉県代表として少年女子100mAに出場、11秒78で優勝した[25]。そして東京国体終了後には「理解のある良い指導者の先生がおられる」ということから、大東文化大学へ進学する意思を表明した[26]

2014年

4月、大東文化大学に入学[27]。大学ではスポーツ・健康科学部スポーツ科学科で学ぶ[27][28]

5月3日、アジア大会韓国仁川)代表選考会を兼ねた陸上の日本グランプリシリーズ第4戦(静岡エコパスタジアム)にて、200mの自己新記録を記録し、日本人最高の4位に入賞した。日本陸上では100mに出場し2位に入賞し、アジア大会代表(100m、4×100mR)が内定した。また、この結果を受けて世界ジュニア選手権の日本代表(100m、200m、4×100mR)にも選出された。世界ジュニア選手権は個人種目こそ100m準決勝・200m予選敗退に終わったが、2走を務めた4×100mリレーでは6位入賞を果たし、1992年大会と並ぶ過去最高成績を記録した。世界ジュニア選手権から約1ヵ月後の8月23日、国体に向けたリレーの練習中に左内側ハムストリングの肉離れを起こし、全治2ヶ月で人生初の松葉杖生活を送ることになり、アジア大会は辞退となった[29]

2018年

日本航空(JAL)に入社[30]

2019年

4月の織田幹雄記念国際陸上競技大会の100mに11秒64で3位入賞すると、6月の第103回日本陸上競技選手権大会では11秒72で2位、9月の全日本実業団対抗陸上競技選手権では11秒74で優勝した[5]

2020年

8月に左大腿二頭筋に肉離れを起こして9月まで練習ができず、10月1日の第104回日本陸上競技選手権大会100mでは12秒67の記録で予選落ちとなった[31]

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人物

埼玉県朝霞市育ち。父母ともに体育大学出身であった[32]。兄は元サッカー選手の土井拓斗[33]。小学校1年生から4年間は空手を習っていた[34]

主な成績

100m

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200m

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60m (室内)

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リレー

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自己記録

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年次記録

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出演

スポーツ番組

コーナー「夢を応援!情熱アスリート」に登場
コーナー「復活! 暴流闘くんに挑戦」に登場。暴流闘くんと短距離走で対決している[35]

バラエティ

コーナー「新・3大〇〇調査会」にて、「お父さんが撮った娘・土井杏南のぶっちぎりレース」で紹介。

脚注

外部リンク

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