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鴨田南町

愛知県岡崎市の地名 ウィキペディアから

鴨田南町
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鴨田南町(かもだみなみちょう)は愛知県岡崎市岩津地区町名。丁番を持たない単独町名である。

概要 鴨田南町, 国 ...

地理

岡崎市の北西部に位置する。

番地

世帯数と人口

2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

1995年(平成7年) 425人[6]
2000年(平成12年) 428人[7]
2005年(平成17年) 411人[8]
2010年(平成22年) 425人[9]
2015年(平成27年) 459人[10]

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]

さらに見る 番・番地等, 小学校 ...

歴史

概要 かもだむら 鴨田村, 廃止日 ...

額田郡鴨田村を前身とする。8世紀中頃に、額田八郷の一つとして鴨田郷ができた[12][13]

中世、1467年、鴨田郷に分立されていた松平氏第4代松平親忠が、井田野合戦で勝利したのち戦死者を弔うため、勢誉愚底を招いて井田野の地に念仏堂(現西光寺)を建立し、千人塚を築いた。西光寺は岡崎観光きらり百選に、 千人塚は市指定史跡[14]に、それぞれ選定されている。松平氏菩提寺大樹寺を建立したのも松平親忠とされる[15]

1560年桶狭間の戦いで敗れ、大高城から敗走して来た松平元康(後の徳川家康)が大樹寺に逃げ込み、自害を図ろうとしたところ、住職の登誉天室に諭されて思い留まったと伝わる[16]

江戸時代には大樹寺領及び鴨田天満宮領となる。1878年に門前村と合併。1889年周辺の薮田村百々村瀧村東阿知和村井田村ともに大樹寺村と合併。その後額田郡岩津町を経て、1955年から岡崎市鴨田町となる。

1976年岡崎都市計画中部土地区画整理事業により井田新町が分離。1978年同事業により鴨田南町、寿町大樹寺1丁目、同3丁目、薮田1丁目が分離。同年東阿知和土地区画整理組合の事業により堂前町が分離[1]

町名の変遷

さらに見る 実施後, 実施年月日 ...
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交通

道路

施設

その他

日本郵便

脚注

参考文献

関連項目

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