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鶴ノ富士智万
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鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 - )は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)。現役時代の体格は身長178cm、体重113kg。得意手は諸差し、寄り、上手投げ。最高位は西十両9枚目(1995年3月場所)。趣味はサッカー観戦。
来歴
中学校時代はサッカー部に所属していたが、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)と父が兄弟であったこともあり井筒部屋に入門。1988年3月場所に初土俵を踏んだ。軽量であったため序ノ口、序二段で伸び悩み、1991年1月場所前に髷を切って部屋を脱走し、一時期は警備員として勤務したこともあった。しかし、考え直した末、3月場所から復帰した。それ以降は奮起して三段目、幕下と勝ち越しを続けていき、同部屋の神海と共に幕下のホープとして取り上げられるまでに成長、1994年3月場所には幕下優勝を果たした。その勢いで5月場所から3場所連続で勝ち越し、11月場所に十両に昇進し鶴ノ富士を名乗った。
新十両の場所は9勝6敗と勝ち越し、翌1995年1月場所も8勝7敗と勝ち越した。だが5月場所に4勝11敗と大敗を喫し幕下に陥落。翌場所で四股名を本名の「福薗」に戻す。以後、怪我も有り幕下下位で低迷していたが徐々に調子を戻し、その後も幕下中上位で成績を残していた。2006年3月場所は東幕下3枚目、7月場所には西幕下5枚目に番付を戻し、1995年5月場所以来、実に11年ぶりの十両復帰を狙ったがいずれも負け越した。引退を決めて臨んだ2007年5月場所は西幕下38枚目で1勝6敗となり、7番相撲終了後に正式に引退を発表した。四股名は幕下陥落から引退まで12年間本名のまま取り続けた(下の名は2002年3月場所まで「光彦」、以降は本名と同じ「洋一郎」)。新十両当時は幕内に昇進したら1992年3月場所から11月場所まで名乗っていた「鶴嶺山」の名を再び継ぐ予定であると発表されたが、襲名は果たせないまま引退することとなった。
取り口はもろ差しからの速攻の寄りを武器にするものであり、新十両昇進からしばらくはその威力から幕内での活躍を期待された。一方で立合いには神経質になりがちであり、2000年5月場所の4番相撲となる若い浪戦では5回「待った」が起こったばかりか4回目と5回目の「待った」が起こった立合いで福薗が若い浪に張り手を打ったことが原因となって若い浪が福薗の胸を拳で叩くという不穏な土俵ぶりが見られた(上手投げで福薗の勝ち)[1]。
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家系図
鶴ヶ嶺(元関脇)の甥、西ノ海(25代横綱)の養女の養女の甥、鶴嶺山(元十両)・逆鉾(元関脇)・寺尾(元関脇)の井筒3兄弟の従弟、薩摩錦(元幕下)の従兄の孫、姪(逆鉾の娘)の天咲千華は宝塚歌劇団の第92期生、甥(寺尾の妻の連れ子となる義理の息子)の寺尾由布樹は俳優。元中日ドラゴンズ選手の井上一樹とは親戚。
─:血縁 ━:養子縁組 ┌──┐ ┌───┐ ○ ○ 女┰西ノ海 高千穂 │ │ ┃ 薩摩錦 ○ 女┰加賀錦 ┌─┴─┐ ┃ ○ 鶴ヶ嶺 ──┬──女 │ ┌──┼──┐ 鶴ノ富士 寺尾 逆鉾 鶴嶺山
主な成績
- 通算成績:424勝390敗23休 勝率.521
- 十両成績:27勝33敗 勝率.450
- 現役在位:115場所
- 十両在位:4場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1994年3月場所)
場所別成績
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改名歴
- 福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)1988年3月場所-1992年1月場所
- 鶴嶺山 洋一郎(かくれいざん-)1992年3月場所-1992年11月場所
- 福薗 洋一郎(ふくぞの-)1993年1月場所-1994年9月場所
- 鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず)1994年11月場所-1995年5月場所
- 福薗 光彦(ふくぞの みつひこ)1995年7月場所-2002年7月場所
- 福薗 洋一郎(-よういちろう)2002年9月場所-2007年5月場所
脚注
関連項目
外部リンク
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