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黒原祐二
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黒原 祐二(くろはら ゆうじ、1960年8月27日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町出身の元プロ野球選手(投手)である。1979年の登録名は黒原 裕二。
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来歴・人物
1960年8月27日に宮崎県北諸県郡高崎町で生まれる。宮崎県立都城工業高等学校ではエースとして活躍したが甲子園出場は叶わなかった。同期にはのちに阪急ブレーブスに入団する南牟礼豊蔵がいる。
1978年のプロ野球ドラフト会議で、西武ライオンズから4巡目で指名され、入団する[1]。
1982年にはイースタン・リーグで最優秀救援投手のタイトルを獲得する。
1983年に1軍初登板。
1984年には中継ぎとして18試合に登板。
1988年には自己最多の33試合に登板して2勝1セーブを記録し、同年の日本シリーズ(対中日ドラゴンズ戦)では第5戦で初登板を果たした。
イースタン・リーグでは通算216試合に登板したが、これは2002年に柏田貴史(読売ジャイアンツ)が更新するまでリーグ記録だった[1]。
詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 33(1979年 - 1981年)
- 44(1982年 - 1990年)
登録名
- 黒原 裕二 (くろはら ゆうじ、1979年)
- 黒原 祐二 (くろはら ゆうじ、1980年 - 1990年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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