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龍岡信熊

日本の警察官、政治家 ウィキペディアから

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龍岡 信熊(たつおか しんくま、安政2年12月16日1856年1月23日[1][2]〉 - 1940年昭和15年〉7月27日[3])は、日本の警察官政治家函館区長(第8代)、函館支庁長(初代)、小樽区長、小倉市長(第4代)などを務めた。

人物

薩摩国薩摩郡平佐村に生まれる[2]。明治8年、警察官(四等巡査)になり第五方面勤務となる。西南戦争では植木口警視が率いる一番小隊の伍長を任される。明治17年に28歳で那覇警察署長となると、さらに2年後の明治19年には沖縄県警察 トップの警部長(本部長)にまでに昇りつめ、以後、宮崎県警察部岡山県警察部滋賀県警察部佐賀県警察部各部の警部長を歴任した。その後は石川県書記官及び石川県参事会員を経て台湾へ渡り、台北県書記官や台湾総督府法院の高等法院検察官などを務めた。明治29年、帰朝すると函館市の前身である函館区の区長に任じられる。明治30年の勅令により函館支庁が設置されるとその長に補され長らくその職にあったが、明治42年8月、小樽区長になるため職を辞した。区長を大正元年まで約3年ほど務めたのち九州福岡へと移り、任期満了となる末弘直方小倉市長の後任候補に推されて立候補し、当選した。

退官後は1921年(大正10年)10年に厚岸町に移り、厚岸電燈会社嘱託および政友会支部顧問を歴任した[2]

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経歴

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栄典・授章・授賞

位階
勲章等

脚注

参考文献

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