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10秒の壁
100m競走で9秒台を出すこと ウィキペディアから
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10秒の壁(じゅうびょうのかべ、英: 10-second barrier)は、陸上競技男子100メートル競走において達成困難と考えられていた9秒台に対する記録の壁である。その壁を越えた記録は偉大な短距離選手の証明と見なされている。一方、トレーニング方法や外部環境要因の改善によって1990年代以降9秒台の自己記録を持った選手が増加し、その意義は以前ほど特別なものとは見なされなくなりつつある[1][2]。

歴史
要約
視点
1960年6月に西ドイツのアルミン・ハリーの手によって10秒0が記録され、これが更新されるまで8年の年月を要した。最初の9秒台は1968年6月20日、ストップウォッチによる手動計時によって記録された。その後、より精密な計測方法の電動計時が採用される過渡期にあった1968年10月14日、アメリカのジム・ハインズがこの10秒の壁を破った。ハインズは、メキシコシティーオリンピック男子100mで優勝し、この時世界新記録を樹立する9秒95で走破した。ハインズの後、1977年8月11日にキューバのシルビオ・レオナルドが9秒98を記録するまで2度目の9秒台が記録されるのにおよそ9年を要した。これら2つの成績はいずれも高地記録(high altitude)として記録された。
1983年5月14日9秒97を記録したカール・ルイスが、平地で9秒台を達成した最初の短距離選手となった。ルイスに続いてカルヴィン・スミスが1983年7月3日に9秒93の世界新記録を樹立。同年8月にも9秒台を記録し、10秒の壁を2度越えた最初の短距離選手になった。その後1980年代に多くの選手が10秒の壁を破った。そして1991年世界陸上競技選手権大会男子100m決勝は、6人の選手が9秒台の自己新記録で走破し、優勝したルイスが9秒86に世界記録を縮めるなど、10秒の壁が破られた後の新しい世界の頂点を象徴するものとなった[3]。2025年3月現在、すべての地域陸連の選手によって、10秒の壁は破られ続けている。最後まで残った南米地域連盟は、1988年7月22日以来、ブラジルのロブソン・ダ・シルバが10秒00の大陸記録を保持していたが、2023年7月28日に3人が10秒の壁を破り、その後更に2人が10秒の壁は破っている[4]。
- 1960年6月21日 西ドイツのアルミン・ハリーが10秒0(手動)の世界新記録を樹立し、10秒0に到達する。
- この後8年間で9人の選手が10秒0を記録。
- 1968年6月20日 アメリカのジム・ハインズ、チャールズ・エドワード・グリーン、ロニー・レイ・スミスが全米選手権準決勝で9秒9(手動)を記録し、10秒の壁を破る9秒9の世界新記録を樹立。電動計時によるハインズの記録は10秒03。
- 1968年10月14日 アメリカのジム・ハインズがメキシコシティーオリンピック100m決勝で9秒95(電動)を記録、10秒の壁を破る。標高2240mで記録された高地記録。初めてオリンピック男子100m決勝進出者全員が黒色人種となる。
- 1976年までに8人が9秒9(手動)を記録し、10秒の壁を破る。
- 1977年1月 IAAFが記録公認の条件を電動計時に限定。
- 1983年5月14日 アメリカのカール・ルイスがカリフォルニア州モデストの競技会で9秒97(電動)を記録、平地ではじめて10秒の壁を破る。
- 2021年8月14日、ケニアのファーディナンド・オムルワがオーストリアの大会にて準決勝で9秒96、決勝で9秒86を記録し長距離王国勢として初めて10秒の壁を破った。
10秒の壁が破られた背景には、選手の努力やトレーニング方法の改良とともに用具や環境の変化が大きな影響を及ぼしたと考えられている。
WAは、指定した競技規則に従い超音波風速風向計により計測された追い風2.0m/秒以下の条件下で、電動計時により計測され[N]、かつドーピングによらない成績だけが公認されるとしている[5][N]。風速計の不調やルール違反により選手の記録が無効とされることがある[6][7][N]。1964年東京オリンピック前後から電子計時、1972年ミュンヘンオリンピックからスリットカメラ、1991年世界陸上競技選手権大会ではスリットビデオがそれぞれ導入され、科学的でより正確な判定が行なわれるようになった[8][9]。
1991年世界陸上競技選手権大会では50台以上のビデオカメラが使用され、選手のフォーム、スピードの変化、ストライド、が計測された[7]。このような計測結果をもとに科学的な研究が進み、トレーニング方法は改良されてきた。東京大学大学院の深代千之教授が2008年6月24日付毎日新聞で、1991年世界陸上競技選手権を分析した結果、股関節周辺の筋肉の重要性と脚全体をしならせる動きが速く走るために必要な条件であると解説した[1]。男子110mハードルの元日本記録保持者で筑波大学大学院の谷川聡講師は、2008年6月24日付毎日新聞のウサイン・ボルトの世界記録更新の話題の中で精神面が記録に及ぼす影響に指摘し、記録を求めようとすると逆に全力を発揮できない可能性について言及した[1]。
全天候トラックの導入

左からアト・ボルドン、モーリス・グリーン、オバデレ・トンプソン
オリンピックでは1936年ベルリンオリンピックごろからすでにアンツーカーを表層材に用いたトラックが採用されており、1964年東京オリンピックまでこれが用いられていた。1968年メキシコシティーオリンピック以降は表層にポリウレタン舗装が施された全天候トラックが採用された[10]。アンツーカーはスパイクで掘れて入力が分散してしまう上に、多量の水分を含むと軟弱化し、安定して記録を生み出せる走路ではなかった[11]。これに比べてウレタン素材は弾力性に富み反発が得られるために選手のストライドを広げることに貢献し、アンツーカーと比較して記録が2%向上したと言われる[11]。1991年世界陸上競技選手権大会の実施会場である国立霞ヶ丘競技場陸上競技場は硬度60度のウレタンが使用され、100m決勝では6人の選手が自己記録を更新して9秒台を記録した[12]。
シューズの改良
1960年ごろから選手専用のスパイクシューズが開発されはじめ、記録の更新に貢献した。1960年代後半以降の全天候トラックの普及に伴い、スパイクピンの形状変更など路盤に対応する改良が施され、選手に合った素材・形状の追求が進められた。
ルイスは世界陸上競技選手権ローマ大会で市販モデルに一部変更を施した片足190gのシューズを使用し、世界記録タイの9秒93を記録した。この後耐久性と市販化をあきらめた選手専用スパイクとして軽量化にこだわり、115gまで重量を落とした結果、世界陸上競技選手権東京大会で9秒86の世界新記録を樹立している[13]。その他、フランク・フレデリクスはバイオメカニクス理論を追究し軟らかめの素材を用いた140gのシューズを、モーリス・グリーンは反発力と弾力性を重視した196gのシューズを愛用するなど、選手の性質と嗜好に合わせた開発が進められた[14]。
左からトンプソン、パウエル、ゲイ、ボルト
選手のプロ化
1970年前後からスポーツ界のアマチュア規定の議論が進むとともにこれが緩和された[15]。最大の陸上競技大会の1つであるオリンピックの商業化とともに1984年ロサンゼルスオリンピック前から選手のプロ化が容認され、広告収入を得た選手でもオリンピックに出場ができるようになった。それまではボブ・ヘイズやジム・ハインズがプロフットボールに道を求めるなど、100m金メダリストであっても職業として陸上を続けることは不可能だったが、商業化に伴いスポンサーを得ることによって陸上に専念できる環境が整うようになった[16]。
人種
9秒台を記録した選手は、白色人種とアボリジニのハーフであるオーストラリアのパトリック・ジョンソンが2003年に達成するまでは、全てアフリカにルーツを持つ黒色人種であった[17][18]。その後、2010年に白色人種であるフランスのクリストフ・ルメートル、2015年に黄色人種である中国の蘇炳添、同じく2015年にイラン人の母とモロッコ人の父を持つイギリス人のアダム・ジェミリが記録した。日本陸上競技連盟科学委員長を務める筑波大学助教授(当時)の阿江通良は1999年6月23日付読売新聞の解説の中で、「おしりが大きく、ももが太くて短く、ひざから下は細くて長い体形」[11] と、身体的なエネルギー効率の良さを指摘し黒色人種の優位性を説いた。他方、欧米では非黒色人種の優秀な短距離選手が熾烈な競争を避けて中距離走へと転向していることが、人種的な差異の原因になっていると考える説も存在する[11]。
日本人としては伊東浩司が1998年12月13日のバンコクアジア大会準決勝で10秒00を記録し壁が破られることが期待されたが、以降これが19年間日本記録として維持され、まさに「10秒の壁」は日本にとって高い壁であった。しかし2017年の日本学生陸上競技対校選手権大会で桐生祥秀が9秒98の記録を叩き出し、日本人として初めて「10秒の壁」を破る選手となり[19]、その後2019年になると5月にはサニブラウン・アブデル・ハキーム[20]、7月には小池祐貴[21]、2021年6月には山縣亮太[22] が9秒台を記録するなど、「10秒の壁」を破る選手が相次いでいる。
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電動計時による記録
注釈
種別記録
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手動計時による記録
手動計時において9秒9を記録した競技者を以下に掲載する。9秒9を記録すると同時に世界記録保持者となったが、その計時は完全に正確なものでなかったと推測される。1977年1月に電動計時による記録のみを公認とする変更がなされるまでは、手動計時による10分の1秒単位の記録が公認されていた[27]。
ギャラリー
- 10秒の壁を越えた短距離選手
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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