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1975年の南海ホークス
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1975年の南海ホークスでは、1975年の南海ホークスの動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、野村克也選手兼任監督の6年目のシーズンである。
概要
パ・リーグはこの年から指名打者制度が導入され、ロン・ロリッチがチームの指名打者となった。前年3位に終わったことからチームは優勝が期待されたものの開幕から不振で、前期は6月中旬まで最下位と低迷。終盤に辛うじて5位に浮上し、前期はそのまま5位で終了。後期以降の巻き返しを期待されたが、近鉄が開幕後から快進撃した影響もあって波に乗れず、借金3ながらもなんとか3位で終えた。総合成績では日本ハムより負け数が多かったものの引き分けが少なく(日本ハムの12試合に対して南海が8試合)、勝利数で日本ハムを上回り6年ぶりの最下位は免れた(この年は引き分けが前年の16から8と半減した)。投手陣はチーム防御率2.98と健闘したが、打撃陣は野村が年齢からくる衰えを隠せず、チーム本塁打がリーグ5位の102本に終わった。シーズン終了後、エースの江本孟紀や1番打者の島野育夫は江夏豊らとの交換で阪神へ、同じく主力投手の西岡三四郎は星野秀孝との交換トレードで中日へそれぞれ移籍した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 38 | 25 | 2 | .603 | 優勝 |
2位 | 太平洋クラブライオンズ | 30 | 29 | 6 | .5085 | 6.0 |
3位 | 近鉄バファローズ | 31 | 30 | 4 | .5082 | 6.0 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 27 | 30 | 8 | .474 | 8.0 |
5位 | 南海ホークス | 27 | 32 | 6 | .458 | 9.0 |
6位 | ロッテオリオンズ | 27 | 34 | 4 | .443 | 10.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 40 | 20 | 5 | .667 | 優勝 |
2位 | ロッテオリオンズ | 32 | 31 | 2 | .508 | 9.5 |
3位 | 南海ホークス | 30 | 33 | 2 | .476 | 11.5 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 28 | 33 | 4 | .459 | 12.5 |
4位 | 太平洋クラブライオンズ | 28 | 33 | 4 | .459 | 12.5 |
6位 | 阪急ブレーブス | 26 | 34 | 5 | .433 | 14.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 64 | 59 | 7 | .520 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 50 | 9 | .587 | -8.0 |
3位 | 太平洋クラブライオンズ | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 5.5 |
5位 | 南海ホークス | 57 | 65 | 8 | .467 | 6.5 |
6位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 6.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
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オールスターゲーム1975
→詳細は「1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 取り消し線は出場辞退
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
→詳細は「1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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