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1986年の阪神タイガース
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1986年の阪神タイガースでは、1986年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
1986年の阪神タイガースは、2回目の吉田義男監督体制の2年目(通算5年目)のシーズンである。
概要
要約
視点
前年の日本一から、戦力的にはトレードで柏原純一(日本ハム)、ドラフトで遠山昭治を獲った程度で大きな補強は行わず、連覇に狙うには物足りない動きだった[2]。監督の吉田義男は「特に、課題である投手陣の強化には、どんなに力を注いでもよかったのに、スタッフは前年と変わらなかった。」[2]と述べている。前年の日本一チームとして開幕を迎えるも本拠地の甲子園球場が高校野球で使えず、敵地での開幕カードで大洋に3タテを喫する最悪のスタート。4月20日には掛布雅之が死球で右手首を骨折し復帰後も打撃不振に苦しみ、130試合中67試合しか出場できなかった[2]。課題とされた投手陣も、前年の怪我からストッパーとして復帰した山本和行は好調だったものの、前年に続きダブルストッパーを任された中西清起の調子が上がらず重責を果たせない[2]、リッチ・ゲイルがすっかりエース気取りで、起用法や遠征での処遇まで細かいクレームをつけてくる[2]、池田親興が肩痛で戦列を離れる[2]、というように思うように機能せず、挙句の果ては、他のコーチとの配置を巡って、投手コーチの米田哲也の気持ちが吉田から離れ思うようなコミュニケーションが取れず、結果、シーズン後に退団するなど、シーズンを通して投手陣が安定することはなかった[2]。野手を含め故障者が続出する中、6月中旬まで借金生活が続く。しかし前年三冠王のランディ・バースがこの年も打撃好調をキープ、6月26日に日本タイ記録の7試合連続本塁打を果たすと、チームはこの試合から9連勝を記録し首位戦線に浮上、8月5日には首位巨人に3ゲーム差まで迫るが、そこから死のロードに突入し6連敗で優勝争いから脱落。結局2年連続三冠王のバースを除く選手が軒並み成績を落とした。また、バースが雑誌のインタビューで「ヨシダのバント作戦はワンパターン」と采配を批判するという事件が起こる。これについてバースは「取材記者が外国人だったので、酒飲み話のつもりで不注意な発言をしてしまった。他意はない。監督に対して、何ら悪感情は持っていないことをわかってほしい。」と吉田に対して詫びを入れた[2]とされるが、主軸打者の苦言はチームの雰囲気に水を差す結果となった。新ストライクゾーン導入もあり[3]、チーム防御率は前年の4.16から3.69へと好転したものの、投手陣ではストッパーの山本和行(11勝3敗11セーブ、防御率1.67)がチーム唯一の2桁勝利を上げたのみで、先発陣はベテラン伊藤文隆(8勝8敗、防御率4.47)と新人遠山昭治(8勝5敗、防御率4.22)が勝ち頭で、前年2桁勝利をあげたゲイル(5勝)、中田(0勝)は軒並み成績を落とし、順位低下の大きな要因となった。また、捕手は前年ダイヤモンドグラブ賞の木戸克彦と2年目の嶋田宗彦の併用となったがいずれも出場は100試合に満たず、正捕手として固定できなかった。チームは最後は3連敗で貯金ゼロとなり、優勝した広島から13.5ゲーム離され、Aクラスの3位を確保するのがやっとだった[2]。この年を最後に阪神は、1992年に1度だけ2位となったほかは、2003年に優勝するまでの16年間、4年連続を含む最下位10回、Bクラス15回といういわゆる「暗黒時代」へと突入することになる。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 右 | 真弓明信 |
---|---|---|
2 | 中 | 吉竹春樹 |
3 | 一 | バース |
4 | 三 | 掛布雅之 |
5 | 二 | 岡田彰布 |
6 | 左 | 佐野仙好 |
7 | 遊 | 平田勝男 |
8 | 捕 | 木戸克彦 |
9 | 投 | 池田親興 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 73 | 46 | 11 | .613 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 75 | 48 | 7 | .610 | 0.0 |
3位 | 阪神タイガース | 60 | 60 | 10 | .500 | 13.5 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 56 | 69 | 5 | .448 | 20.0 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 54 | 67 | 9 | .446 | 20.0 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 49 | 77 | 4 | .389 | 27.5 |
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オールスターゲーム1986
→詳細は「1986年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
選手・スタッフ
- 登録名変更
- 伊藤宏光→伊藤文隆
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高、赤太字はNPB記録
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表彰
達成記録・出来事
- 2月21日 - 現役時代は阪神でプレーし、1940年、1941年、1950年、1951年の4年は選手兼任で1952年から2年間は専任監督をした松木謙治郎が肝硬変のため死去。享年77
- 4月10日 - 真弓明信がヤクルト3回戦(神宮)で梶間健一から先頭打者本塁打を放ち1回表の先頭打者本塁打が通算22本目で、2日前に並ばれた福本豊(阪急)を再び離す新記録
- 4月18日 - リッチ・ゲイルが中日1回戦(ナゴヤ)で1試合5三振のNPBタイ記録、史上3人目
- 4月20日 - 掛布雅之が中日3回戦(ナゴヤ)で6回に斉藤学から死球を受け骨折、1981年の開幕戦から続けてきた連続試合出場が633でストップ
- 4月23日 - 山本和行が広島1回戦(広島市民)で9回から登板し通算600登板、史上26人目
- 6月1日 - ランディ・バースが大洋11回戦(甲子園)で第1打席と第2打席に欠端光則から本塁打を放ち、前日の大洋10回戦(甲子園)の4打席目、最終の5席目も関根浩史から本塁打を放っていることから4打席連続本塁打、4打席連続は史上10人目で球団史上初、4打数連続だと史上12度目(13人目)で球団史上3人目
- 6月12日 - 球団が中日12回戦(ナゴヤ)で通算6000試合目(3157勝2662敗221分)史上2球団目
- 6月20日 - 遠山昭治が中日13回戦(甲子園)で完封勝利を挙げる、高卒新人で球団では1967年の江夏豊が1967年5月28日大洋6回戦(川崎)で挙げるなど2完封して以来19年ぶり
- 6月26日 - ランディ・バースが巨人12回戦(後楽園)で8回に江川卓から本塁打を放ち王貞治(巨人監督)と並ぶ7試合連続本塁打の日本タイ記録
- 7月1日 - ランディ・バースが大洋12回戦(岡山)で9回に斉藤明夫から本塁打を放ち10試合連続打点のセ・リーグタイ記録
- 7月3日 - ランディバースが大洋14回戦(甲子園)で1回に遠藤一彦から適時打を放ち12試合連続打点のNPB新記録(その後13試合まで伸ばす)
- 7月6日 - 真弓明信が巨人14回戦(甲子園)で2回に水野雄仁から本塁打を放ち球団通算4500本塁打、史上3球団目
- 7月8日 - バースがこの日終了時点で、今シーズンの最高となる打率.407。翌試合以降5試合を25打数無安打で打率4割を切り、試合終了時点で4割を越えることはなかった[11]
- 8月7日 - ヤクルト17回戦(神宮)で8回に1イニング5盗塁のセ・リーグタイ記録
- 8月15日 - 柏原純一が中日20回戦(ナゴヤ)、9回に代打で出場し通算1500試合、史上83人目
- 8月19日 - 掛布雅之が大洋19回戦(横浜)で6回に遠藤一彦から二塁打を放ち通算1500安打、史上51人目
- 8月19日 - ランディ・バースが大洋19回戦(横浜)で8回に遠藤一彦から本塁打を放ち通算150本塁打、史上82人目でチャーリー・マニエル(ヤクルト・近鉄)の475試合より早めの433試合での最速達成
- 9月8日 - ウェスタン・リーグで13年ぶりのリーグ優勝達成[12]
- 9月18日 - 山本和行が広島21回戦(甲子園)で8回から登板し通算639登板、大卒では秋山登(大洋)と並ぶタイ記録
- 9月23日 - 真弓明信が中日26回戦(甲子園で)3回と5回に宮下昌己から、8回に鹿島忠から本塁打を放ち1試合3本塁打を記録、球団史上10人目(史上13度目)
- 9月27日 - 弘田澄男がヤクルト25回戦(甲子園)で8回に黒田真二から安打を放ち通算1500安打、史上52人目
- 9月30日 - ランディ・バースが広島22回戦(広島市民)で8回に津田恒実から本塁打を放ちシーズン46号本塁打、前年の54本と合わせて2年で100本は王貞治(巨人)の1973年51本・1974年49本の計100本に次ぐ史上2人目(その7日後、落合博満(ロッテ)も同様の記録を達成する)
- 10月14日 - シーズン最終戦の大洋26回戦を行い、ランディ・バースは2打数2安打で日本プロ野球新記録打率.389でシーズンを終える[11]
- 10月17日 - ランディ・バースがセ・リーグの全日程が終了したことをうけ、2年連続2度目の三冠王が決まる
- 12月23日 - 前田耕司、吉竹春樹と、西武の田尾安志が2対1の交換トレードが成立[13]
ドラフト指名選手
→詳細は「1986年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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