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1989年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)
1989年に日本で行われたプロ野球ドラフト会議 ウィキペディアから
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1989年度新人選手選択会議(1989ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は、1989年11月26日に赤坂プリンスホテルで行われた第25回のプロ野球ドラフト会議である。
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概要
- 前年度までは午前11時からホテルグランドパレスで開かれていたが、今年度からは会場を赤坂プリンスホテルに変更、開催時刻も午後4時からとなった[1]。
- 今年度からテレビモニターが採用された[2]。
- 72選手の交渉権が確定した。
- 抽選に外れた球団は奇数指名順位はウエーバー方式、偶数指名順位は折り返しウエーバー方式で希望選手を指名。
- ウエーバー順位はロッテ - 大洋 - 日本ハム - 阪神 - ダイエー - ヤクルト - 西武 - 中日 - オリックス - 広島 - 近鉄 - 巨人。
- この年の目玉として注目されていた野茂英雄(新日本製鐵堺)に、近鉄バファローズ、オリックス・ブレーブス、日本ハムファイターズ、ロッテオリオンズ、横浜大洋ホエールズ、阪神タイガース、ヤクルトスワローズ、ダイエーホークスが1位で指名。岡田彰布(1979年ドラフト)や清原和博(1985年ドラフト)の6球団競合を上回る史上最多の8球団による競合となり、抽選で近鉄が交渉権を引き当てた。
- 同年のドラフトでは、1位指名だけでも前述の野茂の他に与田剛(中日ドラゴンズ)、佐々木主浩(大洋)、佐々岡真司(広島東洋カープ)、小宮山悟(ロッテ)、潮崎哲也(西武ライオンズ)、2位以下でも古田敦也(ヤクルト2位)、岩本勉(日本ハム2位)、石井浩郎(近鉄3位)、前田智徳(広島4位)、新庄剛志(阪神5位)などタイトル獲得者や10年以上にわたって活躍した選手、好成績を残した選手を多数輩出し、大豊作のドラフトと評価されている[3]。
- ダイエー1位の元木大介は入団を拒否してハワイで浪人生活を送り、翌年のドラフトを経て志望球団の読売ジャイアンツに入団した。
- ヤクルト3位の黒須は入団せず、日本興業銀行へ進んだ。当時の編成部調査役だった片岡宏雄は後に「当初は黒須を獲得する気は無かったが、本人が『どうしても野球が捨てられない』と頼みに来たので、渋る野村克也監督を説得して指名した」と話した。しかし黒須は入団を拒否したため、「それをひっくり返したからね。『キャプテンがこんな人物では』と立教大学野球部と縁を切り、OB会も退会した」と語っている[4]。なお、これ以降ヤクルトは立教大学の選手を指名しておらず(2022年現在)、出身者も2016年の菊沢竜佑まで27年間いなかった。
- 前年までテレビ東京が放映していたドラフト会議のテレビ中継は、この年からテレビ朝日に移行した。このため、それまで関東地方、愛知とその周辺、大阪とその周辺、および岡山、香川のみでしか見られなかったドラフト会議の生中継がこの年から地元球団が復活した福岡(TVQ九州放送開局は1991年4月)をはじめ、北海道(テレビ北海道はこの年10月に開局)や宮城、広島(ともにテレビ東京系なし)など主要地方都市でもリアルタイムで視聴できるようになり、地方の指名対象選手が生中継で指名を確認する機会が多くなった。
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選択希望選手一覧
- 太字は交渉権確定。色付きは指名重複選手。重複抽選に外れたチームはシーズン成績に基づき、巡目括弧内の矢印の向きにウェーバー制により指名。
- 背景色が暗い選手は入団拒否した選手。
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球団別選択選手
ロッテオリオンズ
横浜大洋ホエールズ
日本ハムファイターズ
阪神タイガース
福岡ダイエーホークス
ヤクルトスワローズ
西武ライオンズ
中日ドラゴンズ
オリックス・ブレーブス
広島東洋カープ
近鉄バファローズ
読売ジャイアンツ
脚注
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