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高木晃次
日本の野球選手 ウィキペディアから
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高木 晃次(たかぎ こうじ、1968年5月10日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(投手)。2010年から数年間は千葉ロッテマリーンズのスコアラーを務めた。
阪急に入団した選手の中で、中嶋聡に次いで現役を続けた選手(投手では最長)だった(入団3年目に球団がオリックスに買収された)。
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横芝敬愛高校から阪急ブレーブスにドラフト1位で指名され入団。同期3位に最後の阪急所属選手・中嶋聡がいて高卒新人バッテリーを組んだ。3年目1989年(球団がオリックスグループ買収されて初年度)住友平二軍監督の期待に応えウェスタンリーグ優勝に貢献しジュニア日本選手権で先発し敗戦投手。4年目上田利治監督最終年1990年に速球を武器に一軍に定着し、主に中継ぎとして活躍し神宮球場でのジュニアオールスターゲームも出場。しかし、土井正三新監督(福本豊二軍監督最終年)1991年から3年間は制球に苦しみ、低迷が続いた。仰木彬新監督誕生の1993年オフに馬場敏史とのトレードで根本陸夫監督時代の福岡ソフトバンクホークスの前身たる福岡ダイエーホークスに移籍。
阪神タイガースの入団テスト不合格、ヤクルトスワローズにテスト入団。野村克也監督の指示でサイドスローとシュートを覚える。移籍した1998年はワンポイントリリーフを中心に24試合に登板。復調の手応えを掴むと、翌1999年には開幕直後は二軍スタートだったものの、4月21日に一軍登録されると、その日の中日戦の七回表に二番手で登板し、1回無失点で自身8年ぶり、そしてセ・リーグ初の勝利を記録した。5月12日の甲子園で野村新監督率いる阪神相手に13年目にしてプロ初完封勝利を記録した[1]。この年はエース格の石井一久・伊藤智仁・川崎憲次郎らの不調もありそこから一気に先発ローテ入りして大車輪の活躍を続け、結果的に12勝のジェイソン・ハッカミーに続き9勝(8敗)のチームの日本人投手最高の成績を残してセ・リーグ投手防御率ベスト10の8傑に入り、規定投球回数にも初めて到達すると言う充実の一年を過ごし若松勉新監督の期待に応えた。日韓プロ野球スーパーゲームに全日本軍として出場。しかし、2000年から再び低迷し、ヤクルトは2001年に優勝果たしたが自身は2001年の日本シリーズ登板機会皆無で2度目の戦力外通告を受ける。
千葉ロッテマリーンズにテスト入団。移籍して最初の2年間は山本功児監督に先発起用されたが、2005年からはボビー・バレンタイン監督の期待に応えビハインドでのロングリリーフや早い回での1イニング登板、左のワンポイントなど中継ぎとして活躍(2005年はポストシーズン出場機会皆無)5月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に2番手で救援登板、2/3回を無失点で初ホールド。2006年6月18日神宮での古巣ヤクルト戦で(自身初のセパ交流戦の勝ち試合で登板し交流戦での)ホールド記録し交流戦2連覇に貢献、21年目の2007年に初めてFA権を取得。同年は藤田宗一の故障もあり、自己最多を1試合更新する43試合に登板した。自身現役生活唯一のポストシーズン出場となった2007年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズではホークスとの第1ステージでも好投し日本ハムファイターズとの第2ステージ第2戦では、ふくらはぎの痙攣で降板した小林宏之をリリーフし、勝利投手となった。
晩年の投球スタイルは、サイド気味の左腕から140km/h中盤の直球を主体にスライダー・フォーク・シュートを織り交ぜるもの。直球は140km/h後半に達することもあるなど威力があり、投球の生命線となっている。
横手投げや上手投げも交え、投げる角度を変えて相手を幻惑するというベテランらしい投球術も見せる。
2008年3月23日の対日本ハム戦では、1990年7月11日のホークス戦以来、18年ぶりにセーブを記録。翌24日の対ホークス戦では通算300試合登板を達成した。同年もワンポイントリリーフなどに重用され、前年の自己最多に並ぶ43試合に登板。藤田宗一や薮田安彦らの移籍で手薄になった中継ぎ陣を支えた。2009年は不振で16試合の登板に終わる。同年10月1日、3度目の戦力外通告を受ける。12球団合同トライアウトに参加したが獲得球団はなく、12月4日に引退を表明した[2]。
阪急・オリックス、ホークス、ヤクルトでの15年間、一軍で白星を挙げたのは4年しかなかったが、ロッテ入団後は2007年まで毎年白星を挙げた。
2022年時点ではロッテを退団しているようであり[注 1]、同年3月16日に研修を経て学生野球資格を回復した[3][注 2]。
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詳細情報
年度別投手成績
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
記録
- 初登板・初先発:1987年10月18日、対南海ホークス26回戦(阪急西宮球場)、4回2/3を1失点
- 初奪三振:同上、1回表に加藤英司から
- 初勝利:1990年6月5日、対福岡ダイエーホークス8回戦(平和台球場)、4回裏2死に3番手で救援登板・完了、5回1/3を無失点
- 初セーブ:1990年6月12日、対ロッテオリオンズ8回戦(山形県野球場)、6回裏2死に2番手で救援登板・完了、3回1/3を無失点
- 初先発勝利:1991年9月7日、対福岡ダイエーホークス20回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回1/3を5失点
- 初完投勝利・初完封勝利:1999年5月12日、対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)
- 初ホールド:2005年5月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に2番手で救援登板、2/3回を無失点
背番号
- 19(1987年 - 1993年)
- 44(1994年 - 1997年)
- 64(1998年 - 1999年)
- 14(2000年 - 2001年)
- 48(2002年 - 2009年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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